正しくは高天原


     抱えられた子①

 墜落現場で、救助活動を行っている自衛隊員の様子が撮られた写真である。
小平 尚典
(こひら なおのり)というカメラマンが撮ったという。
ここに焼け焦げていないの子の写真がはっきりと写っています。

10歳前後とみられる短髪のの子が自衛隊員に抱えられている。
見たところ目立った外傷はない。
まるで生きているかのようである。


因みに、4人の生存者の中にこんな幼いの子はいません

美谷島健君のご両親はこれまで一度も遺体を見せて貰った事は無いのです!

 

この事故の生存者は、4名の女性だけとされる。
日本航空スチュワーデス落合由美さん(26歳)、

家族連れの中学1年生川上慶子さん(12歳)、

家族連れで旅行中だった母親吉崎博子さん(34歳)、長女吉崎美紀子さん(8歳)


 

従って、このの子は死んでいた事になる。
しかし、靴の脱げた左足首に何かヒラヒラしたものが見える。
気になったので、クローズアップしてみた。
下の写真である。
   包帯2

 何か細長い布のようである。
細長い布・・・・・。
これは包帯である。
このの子の左足首に包帯が巻かれている。
ひどく簡易的な応急処置だが、このは治療を受けている。
死体に包帯を巻く筈が無い
という事は、このは生きていた・・・。
このような事の発表も報道も当時全く無かった。




最初の写真では何かを左手に掴んでいる。
ところが二枚目の写真ではそれを放している。
これはいったい何なのなのだろう。

 

写真を二枚交互に何度も見比べると、この子供があるものを落とした為に
子供の視線も自衛隊員の視線も落とした方向に向かっている事が解る。

 



あぁ この子はこの時まで生きていたんだ。
しかも左足は靴が脱げているが靴下が足型に汚れているのが判る。
つまり墜落後に生きていて歩き回ったと推察できる。
そして何かを見つけ左手に持っていたのであろう。

 

男の子を抱きかかえている自衛隊員を探し出し、彼にくんの写真を見せ、同一人物かどうかの確認を取るしかありません。
 ところが、残念な事に、現場に派遣された多くの自衛隊員自殺してしまったそうです。

『自殺』で処理され益々が深まるのです。

 

中曽根の死によって、「墓場まで持ってゆく」発言……

本当に真相は闇に葬られてしまった。


 このが誰なのか気になり、乗客名簿を調べてみた。
乗員乗客数は524名だったが、乗員が15名いたので、乗客数としては509名となる。

偶然の一致では片づけられない不思議な符号

この世界には偶然というものは存在しません。

 

その内、小中学生は48名、(イロハ四十八の仕組)
更にその内の子は18名。(ミロク=偽666=6+6+6=18)

JAL123(ひふみ)便に高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏…

高天原古事記神話において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる神聖な場所を意味します。

123=「ひふみ」は神事を表す特別な数字であり残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず、

その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。

 

 

大本出口直に降りた国祖艮の金神です。

(かんながら)流川(かんながわ)

隠し」文字と記事

 

 

無駄(ムダ)なダム

 

 

 

そして、暗殺された国常立尊が流されたのが

神流川(かんながわ)

胴体を流したのが荒川

暗殺者が返り血をすすいだ時「隈(くま)無く血で染まった」のが「血隈」ならぬ

千曲川(ちくまがわ)

そしてその三つのの源流こそが、高天原です。

 

 

短髪で10歳前後のの子に絞り込むと3名となった。
美谷島健君 (9)、吉岡 秀倫君(8)、吉崎充芳君(9)の3名である。

 

 

 

 



 このように、日航機墜落事故には様々な不可解な事がつきまとう。
これは真実を隠した事により色々なところで辻褄が合わなくなってきているせいなのだろう。
この事を知らせるようにと、何かに『坂本思い出記念館』に呼ばれたような気もする。