ユダヤ人、秦氏(はたうじ)、日ユ同祖論

 

 旧約聖書ではアブラハムの子イサク、イサクの子にヤコブがいる。

ヤコブは別名イスラエルで、イスラエル王国の12部族を生み、これがユダヤ人とされた。

しかしその12部族は分裂し、2部族によるユダ王国、10部族のイスラエル王国と分かれる。やがて10部族はアッシリアに連行され、行方が分からなくなった。

そして日本では日ユ同祖論(にちゆどうそろん)というものがあり、その失われた10部族が日本へやってきて文化を広めたという説。

よって日本人はユダヤ人の血を受け継ぐというもの。


アブラハム

 

 この旧約聖書は御子による作り話で、そこに登場するアブラハム、モーゼ、ダビデ王、ソロモンも実在せず、御子をシンボル的に表したという結論だった。

つまりイスラエル12部族自体が存在せず、日本にやってくるという話もそもそもなかったという結論になる。

よって日本の天皇はユダヤ人でもユダヤ人の末裔でもないことになる。

またユダ王国のユダヤ人がバビロニアへ捕虜として連行されたバビロン捕囚(ほしゅう)も、歴史的に存在しなかったという結論。

血のつながりによるユダヤ人はそもそも存在せず、アジア各地に広がっていったというユダヤ人も存在せず、神によって選ばれた選民も存在しない。

しかし古代イスラエルについての記述と日本には類似した点がある。


・イスラエルの移動式神殿の幕屋は、日本の神社と形態が類似している。
・イスラエルの過越(すぎこし)祭で食べられる種なしのパン(マッツォ)は、日本の餅(もち)に当たる。
・ユダヤ教徒は祈りの際に黒い小箱(ヒラクティリー)を額につけ、羊の角笛ショーファールを吹く。日本の山伏(やまぶし)も黒い小箱を額につけ、法螺貝(ほらがい)を吹く。
・古代ユダヤの契約の箱と日本の神輿(みこし)は、良く似ている。

 

 これら共通点の理由も、御子が両方の地に現れて文明を与えてきたからという結論になる。他国の神話同士に類似点があるように、イスラエルと日本の文化に類似点があるのも御子由来のシンボルだからである。

日本への渡来民は次のように三段階に分けられている。

 

第一段階、紀元前4万年頃〜紀元前2400年頃、縄文人
第二段階、紀元前2400年頃〜紀元前1000年頃、縄文人と異なるDNA
第三段階、紀元前1000年頃〜現在、朝鮮半島や上海周辺からの渡来民

 

この第三段階で日本に稲作を広めたのは渡来人とされているが、それも御子によるものという結論。

それは秦(しん)という漢字が㫪(うすづく)と禾(いね)の組み合わせから出来ており、御子を表す字という結論だった。

また神鳴りが雷と書き、雷の漢字が雨と田の字からでき、雨と農耕神である御子のシンボルでもある。

その御子が縄文時代から日本人に文明を与え続け、漢字や平仮名も広めてきた。

 

794年の平安京は、アジア大陸からやってきた秦氏(はたうじ)の力によって作られ、それ以前の日本の巨大古墳建築にも秦氏の力があったとされている。

秦氏は秦(しん)の始皇帝の子孫とされる部族で、京都の太秦(ウズマサ)に定住するようになり、イスラエルのユダヤ人の末裔という話もある。

しかし前方後円墳も御子が作り、タニトをシンボルとした形という結論だった。

そして平安京にも黄金比などが見られ、御子が作ったという結論だった。

そして秦氏の族長の秦河勝(はたのかわかつ)も、秦の始皇帝も御子という結論だった。

秦(はた)という名前は、日本書紀巻第19に、秦大津父(はたのおおつち)という人物で、次のように登場する。

「第29代の欽明(きんめい)天皇が幼少の頃に夢で『秦大津父(はたのおおつち)なる人物を寵臣(ちょうしん)とすれば、成長してから立派な天皇になれる』との神示を受け、のちに本人を招いて話を聞いた。

そして欽明(きんめい)天皇が天皇位を継いでからは秦大津父(はたのおおつち)は大蔵省(おおくらのつかさ)に抜擢された。」

 日本書紀も御子による作り話という結論だった。

つまり日本への渡来人は存在したが、秦氏(はたうじ)という部族は存在せず、秦(はた、しん)にまつわるものは全て御子由来という結論。

日本人の名字にある秦(はた)も、御子を表した御子由来の名前ということ。