我国には現人神があらせらる
それで
『天壌あめつちと与に窮りなかるべし』
といふ天祖の御神勅によつて我国の大君は万世一系である。
外国のやうに禅譲あり、放伐あり、
勢威あれば君となり勢威を失へば奴隷となり、家来となり、
或は殺されるといふ風な見識のない政体とは違ふのである。
即ち我国の大君は現人神あらひとがみにてあらせられ、
吾々が朝夕に敬ひ奉たてまつる活きたる神様である。
外国には斯ふいふ尊い活きた神様がないので、
キリスト教の必要が起つたり、
釈迦の宗教の必要が起るのである。
頼る処がないからさういふ死神死仏を引張り出して
慰安の道具にして居るだけで其実は泡抹に等しいものである。
次に「肇国の精神を遵奉し」の意は、
肇国の精神とは国を肇め給ふ処の精神である。
此肇国の精神といふことは、御肇国天皇はつくにしらすすめらみこと、
即ち神武天皇が初めて御神代からの神様の系統を継承ひきいて
人皇の祖はじめと成らせられた時からの神言かみごとである。
外国には建国があつても肇国の神定はないのである。