銀行システムと貨幣の歴史のまとめ
現代の世界の国々で共通する通貨システムといえば、「紙幣とコイン」である。
どこの国も高額通貨には「紙幣」を用い、低額通貨に「コイン」を用いているが、主役は何といっても「紙幣」である。
そして、この現在につながる紙幣による通貨システムは、この時代の中世ヨーロッパに起源をもつ。
紙幣が発明される以前のヨーロッパ諸国では、各国の国王や支配者が金・銀・銅で出来た延べ棒やコインを発行し、国民はそれらで商取引をしていた。
中でも価値の高い「金」は、柔らかい為にすり減ったり、盗まれる危険性がある為に人々は丈夫な金庫を持った金庫番(当時の金細工職人や両替商)に自分の「金」を預けた。
そして、「金」を預けた代わりにその証明書として預り証を受け取る。
そして後に、この「金」の預り証が、紙幣になっていく。
人々は、自分の「金」が必要な時に預り証を持って、金庫番の所に引き取りに行っていたが、やがて、経済が発達してくると、商取引の際にいちいち金庫番のところに行くのが煩わしくなってきた。
そこで、人々は預り証で直接、取引をするようになる。
預り証でモノを買ったり、モノを売ったときに預り証を受け取ったりという具合である。
このように元々は、「金」の預り証であった「紙」が通貨としての機能を持ち始めた。
街の人々は、預り証で取引をするのがあまりにも便利な為、ますます多くの預り証が市場に出回る。
こうして、預り証は人々の信用を得て、金庫番の所には、誰も自分の「金」を引き取りに行かなくなる。
その結果、自然と金庫番は、有り余る程の「金」を手にするようになった。
そこで金庫番は気付く。
「人々が一度に全ての金を引き取りに来る事はない。
だから、預り証を勝手に発行してもばれない!」
こうして元々は、「金」を預かる代わりに渡していた預り証を、金庫番はこれを「金」を預けていない人にも発行し、利子をつけて貸すようになった。
これが銀行の始まりである。
その後、金庫番は一般市民に貸すより、国王に貸付するほうが遥かに儲かる事に気づく。
戦争のたびに、各国の国王は多額のお金が必要な為、銀行家に借りるようになった。
戦争は、銀行家にとって一番うまみのある事だった。
もし国王が戦争に負けて借金を返せなくても、借金の担保である国王の財産・土地・建物・税金が銀行家のものになるからである。
こうして、戦争のたびに財産を増やし、力をつけた銀行家は、やがて王族と血縁を結び、いつのまにか貴族になっていった。
貴族となった銀行家は、更に大きな権力をもち、手持ちの「金」よりずっと多くの紙幣を発行する権利を国王に認めてもらう。
つまり、何の価値の裏づけもない紙切れに価値をつけて、人々にどんどん貸し出す権利を手に入れた訳である。
ただの「紙切れ」を貸す代わりに、人々からは家、お店、車、貴金属、宝石、家畜など価値のあるものなら何でも担保に取っていく。
それらは全て銀行家の財産になっていく。
これが現在でも行われている「紙幣」と「銀行」の仕組みである。
この「お金の仕組み」が分かると、今の「世界の仕組み」と「本当の支配者」が理解できる。
そして、この現実の世界で、「紙切れの貸付、利子と担保の取り上げ」によって、世界中の富を手中に収めている代表的な銀行家が、「ロスチャイルド家」である。
■ 1816年
アメリカ連邦議会で、ロスチャイルド家が支配するペンシルベニア州フィラデルフィアの
第二合衆国銀行を認可する法律が成立、20年間の設立許可を与えられた。
これによってロスチャイルド家は再び貨幣供給を支配するようになる。
この第二合衆国銀行のデザインもアヌンナキが作ったバールベックのバッカス神殿やジュピター神殿と同じである。
■ 1818年
ロスチャイルド銀行はプロイセン政府に対する500万ポンド(約10億円)の融資を手配し、
政府の債権を発行した。
政府の計画に対して革新的かつ複雑な資金提供を行う事は、銀行の主力業務として、19世紀の大半を費やし形成されていった。
当時、プロイセン王国はドイツ北部からポーランド西部を支配していた。
■ 1820年頃
イギリスハノーヴァー朝の国王ジョージ4世以降、イギリス王室は代々フリーメーソン入りするのが伝統的なしきたりとなった。
イルミナティの英国東インド会社にも関与し、アヘン貿易によって巨額の富を得ている。
この頃から、フリーメーソンが英国王室を取り巻くようになった。