■ 1626年
アヌンナキのデザイン的要素とサン・ピエトロ大聖堂
1626年にバチカン市国にあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂が完成する。
このデザイン的要素は、アヌンナキが作ったバールベックのバッカス神殿とジュピター神殿と同じである。
また同様に、アヌンナキが作ったヨルダンのペトラのエル・カネズなどとも同じである。
この三角形部分の原型は、「生命の樹」のケテル(王冠)の部分であり、古代メソポタミアのエンリルの監視塔の形も三角形であった。
その部屋にサーチライトのレーダーが設置され、それによってエンリルは全ての土地の深奥部(しんおうぶ)を捜索する事が出来た。
これが「全てを見通す目(プロビデンスの目)」であり、
エンリルの監視塔の象徴でもある。
■ 1665年頃
エチオピアのアスクムにあるシオンのマリア教会が再建される。
エチオピア正教会は、契約の箱を納めているとしている。
■ 1694年頃
イルミナティのイングランド銀行がロンドンに作られる。
1689年、オランダのフリーメーソンであったオレンジ公ウィリアムス(ウイリアム3世)が、イギリスにフリーメーソン結社のオレンジ結社を創設した。
これに参加した貴族たちが中央銀行の元締めとしてイングランド銀行を創る。
その銀行が後にロスチャイルド一族に管理される事になる。
英国はこの時期後、戦争と内戦に突入するが、ソロモン神殿を作った「フラムの子ら」であるイルミナティのフリーメイソンは、英国に軍事費用を貸し付ける代わりに、英国銀行の設立権と理事権、そして金本位制を確立する法的権限を得た。
■ 1717年頃
6月24日の聖ヨハネの日、ロンドンの4つのロッジの代表者が、グース・アンド・グリドアイアンに集まって「ロンドン・グランド・ロッジ」を設立した。
イングランド型ロッジの最初という事で「マザー・ロッジ」と呼ばれ、フリーメーソンは長い地下組織の歴史に終止符を打ち公然化させ、近代フリーメイソンの歴史がこれにより始まる。
「フリーメーソンの理想は、社会や国家を改良して、普遍的人道主義的な世界共和国を建設することである」と詠った。
ロッジをまとめるグランドロッジも設立された。
またロッジ運営の中心となる役職グランド・マスターが配置され、新しいロッジを承認する権限が与えられている。
近代フリーメイソンの全ては1717年に発足したイギリスのグランド・ロッジに端を発する。
この年より、フリーメイソンの規模は世界中で急速に拡大し、支配者層、権力者層が会員となっていく。
4つのロッジから始まったロンドングランドロッジは、1725年に64ロッジを支配下に置いた。
1733年にロンドン・グランドロッジは126ロッジへと増加した。
1773年にフランスのグランドロッジ「大東社」が設立され、フランス革命前にフランスには629のロッジがあり、パリだけでも69のロッジが、また69の軍隊内ロッジがあった。
■1727年
14世紀に、銀行家として台頭していたメディチ家に起源を持つ三百人委員会が設立される。
イルミナティの三百人委員会の思想の大元は、古代バビロニア王室(アヌンナキのマルドゥク)である。
彼らはアジアや中近東、ヨーロッパ間の貿易によって富を築いた。
その後仲介するビザンチン帝国を避ける為、港町アムステルダムに本部が移行された。
そこで東インド商会を作り、直接アジアと取引する事により更なる富を得た。
こういった歴史的な流れがあり、1727年にイギリス東インド会社の300人の会議をもとにして、英国貴族によって三百人委員会は設立された。
フリーメイソンの第33階級、最高大総監に相当する。
三百人委員会はオリンピアンズ(オリュンポス十二神)とも呼ばれる。
三百人委員会の根本思想は、イルミニズム、悪魔主義である。
その超国家的組織は超選民主義の究極的な形態である。
彼らは三つの原則によって社会を管理してきた。
火薬、金、ペンである。
要するに暗殺、賄賂、プロパガンダの組み合わせである。
現代彼らは三つの小さな独立都市から世界を支配している。
「火薬」である戦争の担当はアメリカから独立をしている都市ワシントンDC。
そして「金」である賄賂担当は独立都市であるロンドン。
最後に「ペン」であるプロパガンダ担当はバチカン帝国である。
三百人委員会のメンバーは悪魔教の信者であり、彼らの配下に存在するのが多くのアシュケナージユダヤ人やアングロサクソン民族。
そして彼らは現在でも人間を生贄にする儀式を定期的に行っている。