■ 366年 

 東国(
とうごく:関東から静岡辺り)は天下泰平の世が続いていた。

しかし倭朝はまたも日高見国(ひたかみのくに)を己の王領にしようと、上毛野(かみつけの)君祖・竹葉世(たかはせ)に荒吐族(あらばきぞく)討伐を勅(ちょく)した。
 この時の荒吐族
領大津(滋賀県大津市)は凶作が続き、大津に駐留していた荒吐族五王が大津より奥州に引き揚げることにした。
 それを聞いた竹葉世
と弟の田道は、時を得たとばかりに荒吐族王が引き揚げる際に三万の兵を率いて迫った。
 そして東日流
(つがる)行丘に陣を張り、荒吐族と戦ったが敗れて中山に追われ飯積(いいずみ:千葉県印旛郡酒々井町)、山田というところで荒吐族五王の達磨(だるま)が奇襲して田道軍を攻め破り、上毛野田道はついに右肩をとりかぶとの毒矢で射抜かれ討ち死にし、兵の半数が殉じた。
 その時、田道軍の副将倭毛津禰という忠臣(
ちゅうしん:家来)がいて、残る官軍を率いて魔神山に脱して田道将軍の遺骸を常棣樹の煙で干し、一年の歳月をかけて墓をつくり埋葬した。
 帰朝した上毛野竹葉世より報告を聞いた倭朝は、暫くの間征夷を中断していた。

 

 

東日流外三郡誌


 

トマス(キリスト教)、達磨(だるま:禅宗)、縁起ダルマのつながり

 荒吐族の達磨大師
(だるまだいし)は、インドからやってきた僧侶で、禅宗の開祖でもあり、中国や日本で禅を広めた。

昔からダルマ七転び八起きの縁起物とされてきた。

キリスト教の聖書にも、「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」と書かれている。

 


 達磨大師は南インドから来たが、そこはキリストの弟子であるトマスが宣教していた場所であった。

達磨大師の話にはトマスの伝説がかなり取り込まれ共通点が多い。

見た目の部分で言えば、髭(ひげ)や赤い服などである。

また達磨大使の命日は10月6日、そしてこの日はギリシア正教会がトマスの召天日

(しょうてんび:命日)と定めている。
 

 京都府にある金戒光明寺に所蔵されている五百羅漢図(ごひゃくらかんず)という絵画には、

キリストの昇天、弟子達の復活への祈り、それを人々に宣教するトマス(達磨)の姿が描かれている。

つまり達磨は、キリストの十二使徒の一人トマスと同一人物であった。
 その達磨(トマス)が荒吐族五王の一人だった。

キリスト教も仏教もアヌンナキとその闇の子孫たちが、宗教操作によって中身を作り替えられたものであり、名前や場所が宗教ごとに異なって作られている。

それらはエジプト神話、そしてアヌンナキの物語に起源がある。

 


 荒吐族の領地だった群馬県高崎市は、現在、縁起ダルマの生産量日本一を誇っている。

縁起ダルマは、達磨の坐禅姿を模した置物で玩具である。

 

 

歴史ミステリー ダルマはキリスト教徒だった?


 

埼玉古墳群

 この時代、関東地区にある荒吐族の古墳数は約3万8000基であり、大和王権の2万9900基よりも多かった。

この埼玉古墳群は、関東地区にある荒吐族の古墳である。

 


 古墳より埴輪や黄金の装飾品も多数出土している。

埴輪は垂れ目のものが多い。

 

 

歴史ミステリー 関東日本王国、黄金に身を包んだ王