世界中で使用される卍(まんじ)

 太陽十字から派生したものが卍(まんじ)となり、これも六芒星と同様に過去から現代まで世界中で使用されている。 
 

 アヌンナキの王アヌはあん=阿吽で、

阿(あ)は開いた形で丸、吽(ん)は閉じた形で十字がシンボルなので、

「丸の中に十字」は大神アヌニビル象徴である。

 

これが太陽十字とも呼ばれ、それが派生して卍(まんじ)となり、古い遺物として残っている物としてはインダス文明からも発見されている。

 




Forbidden History: Hidden Symbols Connecting All Major Ancient Civilizations


 

ソロモン王の死後、全イスラエル王国の大分裂
 

 ソロモンの死後、アラビア半島西部にあった彼の「全イスラエル」王国は

「ユダ」と「イスラエル」に分裂し、彼の末裔によりそれぞれの国が継承されていった。

 

「ユダ」の王はアール・シャリームを支配下におき、

もう一方の「イスラエル」を名乗る国の王はやがて都を「サマリヤ」においた。

 

このサマリアは、サラートの山裾に広がるクンフザ地方の低地帯にあるシムラーンという村である。

その都を拠点として、歴代の「イスラエル」の王たちは、北はターイフ地方にまでおよぶ、ちょうど「ユダ」の領土の北部一帯を支配した。

 


 政治的統一の面では、この「全イスラエル」の王国は長くは続かなかった。

紀元前10世紀の後半になると、その領土はすでに二つの対立する王国に分裂しつつあった。

即ち、その首都をアール・シャリーム(聖書のエルサレムにあたる)とするユダ王国と、イスラエル王国の二つである。

まずエジプト、次いでメソポタミア帝国による、アラビア半島西部を支配下におこうとする動きが、この分裂をもたらし、永久化させた事は間違いない。
 

 聖書学者たちは、伝統的にパレスチナに視点を据えてものを考え、二つの対立する王国「ユダ」と「イスラエル」は、それぞれパレスチナが南北に分かれたものであり、イスラエルの方は、その北パレスチナのナブルスを首都とする王国だったと説明したりしている。

しかし「イスラエル」はアラビア半島西部にあり、その本来の勢力圏の中心を「ユダ」の北においていた。

しかしこの二王国は、ひとつの明瞭な国境線を境に隣り合っていた訳では無かった。

むしろこの二つの王朝は、宗教上の対立によって分かれた、同一国内における政治的分裂といえるものであった。

ユダとイスラエルの王朝は、同じ地方の、しかもしばしば互いに近接する町や村を、それぞれ治めていた。

明らかにその実例といえるのが、ユダの中心部、即ちクンフザ内陸地方である。

また更に北部のリースおよびターイフ地方もその例である。
 ユダは後に正統派のユダヤ教として残り、彼らはヤハウェ神を崇拝した。

イスラエル側はサマリア派を形成し、ユダヤ教は正統派とサマリア派に分かれた。

そして様々な経路を経て、アラビア半島西部からパレスチナやその他の地方へと伝播していった。

聖書アラビア起源説 / カマール サリービー

 

 

モーゼの墓

 この頃、余生を過ごす為に日本へ来日していたモーゼは、583歳という長寿を全うし、最期は宝達山
(ほうだつざん)のふもとにある三ツ子塚に葬られた。

それが現在も宝達志水町(ほうだつしみづ ちょう)に残されているモーゼの墓である。


 戦後、こういったモーゼ伝説を聞きつけたGHQが塚を掘り起こして発掘調査も行なっている。

その時の調査では、墓の近くの石灰山で、膝からくるぶしまで約75センチもある巨人の骨や、異国風の兜、奇妙な形の貴金属に、土器と思われる壺などが発掘されたという。

 

 

 

超常現象の謎解き