たった今、10時30分、停電があった。
原稿を整理している最中でいきなりバシッとMacの電源が切れ、同時に部屋の明かりも消えた。
しかもその消え方がちょっと昔の映画かなんかでよくあるような、電灯がジジジジ、ピカ、ジジジジジ......プツン。みたいな切れ方で、しかもほんの少しだけ電源が供給されているのか、白熱灯だけがほんのりオレンジに光っていた。
停電の直前でデータをセーブしておいてよかった。ああ、あぶない。

んで、停電になって家の中を点検して、ブレーカーのせいではないとわかり、家の外へ出てみると、僕の家の番地の家の明かりがすべて消えている。街灯も消えている。
近所の人が出てきて情報を交換しあう。どうやらこれはやはり、停電だ。

家の中に戻り、キャンプ用のランタンを取り出してきて点ける。黄色い光が灯り、室内をやわらかく照らす。
もう、仕事はできない。
焦ったか?

いや。ぜんぜん。
それどころか、停電の瞬間に、僕はものすごい勢いで「安堵」したことに気がついた。「もう今日は仕事をしなくていいんだ。DVDの配線を考えたり、メールを書いたり、ブログを書いたり、テレビをチェックしたり、音楽を聴いたり、何もしなくていいんだ」と思った。その一瞬の判断で、途方もなく安堵していた僕がいた。

不思議なものだ。
電気は人の暮らしを便利にするためにあるはずなのに、たまにそれが途絶えると、人は、「電源の元でやらねばならぬこと」あるいは「電源の元で広がり行く宿命的な可能性」から解き放たれて、自由になる。
やわらかな光と静けさの中で毛布にくるまり落ち着きを取り戻す。この感覚はひさしぶりだ。キャンプのテントの中のようだ。

とかいって、すぐに東京電力の人がかけつけてきて、1時間で直しちまった。すぐにMacに向う僕。この性格は内部からは直せない。外部で遮断してくれる機会が嬉しいことを知った夜だった。