鬱の人は、たとえば「頑張れ」のひとことでも勘に触ってしまうことがある。
なぜ、鬱の人に「頑張れ」と言ってはいけないか。

それは実際のところ、足の骨が折れている人に、「立ち上がって歩け」と言うに等しいからである。
ウッツーとは要するに、(イロイロな理由で)心の疲労骨折をしてしまった人のことだ。
骨折の経験をした人と、鬱を経験した人の数って、同じくらいじゃないかな?

鬱は、必ずなおる。
けれども、直すのが早い人と、遅い人がいる。
骨折しているクセに足をいためるような歩きかたをする。そういう人は、おそい。
頑固な人は、おそい。(か、異常に早い)
風邪ひいてるのにタバコ吸って夜遊びしてるような人は、おそい。
風邪ひいてるのが好きな人も、おそいかも。

鬱の人は、たとえば「頑張れ」のひとことでも勘に触ってしまうことがあって、それも無理ないことなのだけれど、その「無理」とはカンケーなく、「勘にさわってしまう」という理由のひとつには、やはり愛すべきウッツーたちの無意識の領域が「開いているから」という理由もあるだろう。
受験生が「すべった」とかいうなんでもない言葉にびびびび、敏感になってしまうがごとく、がむしゃらに。

「頑張れ」と言う人のことを恨むでないぞ。
そこに境を作りすぎてしまうと、ますます乗り越えてゆけなくなる。

ウツをのりこえるコツは、まさに“さかい”が低くなった時を見計らって、ひょいと(あるいはノソノソと楽しく)乗り越えてしまう、ということだ。
“さかい”を低くするのは何でもいい。「クスリ」でもいいし、「安定」でもいいし、「新しく愛するもの」でもいいし、「古くからの愛情」でもいいし、......あとは、なんだろう。

「頑張れ」と言ってしまったからと言って、悔やむでないぞ。
後悔や悩みはウッツーのもと。次から気をつければいい。
ま、いっか、でいきましょうぜ、兄弟。

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勘に障る、というのとは似ているくせにまったく逆作用を及ぼすものとして、勘に“ふれる”というか、勘に、“染み込む”言葉というのもあるような気がする。

たとえば友人のやさしい預言的な言葉。
占い。
心理テストのささいな一行。
人の日記や文学の片隅。
ふと開いてみた詩集の文字とか、憧れる人の口元からこぼれた一言、とか。

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カンケーないけど、男が「腹が痛い」と言う時って、たいてい「胃のあたりがいたい」時なんですけれども、女の子が「おなかがイタ~い」って言うときは、排泄関係がらみのことも多いんですってねー。

つい最近まで知らなくて、「胃酸過多?」なんていうふうに心配してた。まさか下痢だとは.......。

ちなみに男の場合、そういう時には「ハラの調子が悪い」と言います。女性はそこらへんをニゴします。男性諸君。女性には「恥じらい言葉」が多く含まれるのでご用心。

ところで、辛~いタイ料理を食べた翌朝の排便の時、下半身ぜんたいが「せつな~い」感じになることない?
今、ちょっとワタクシせつないの。
だから「わたしちょっと今おなかが痛いわ~」なんてことを言ってみたりしてみたわ。