「戦争中は酷かったが、戦後はもっと酷かった」


ということを大正生まれの亡き両親から何回も聞きました。



それは、直接的な戦火ではなく、食料事情、治安問題、傷ついたプライドや価値観、そして将来への不安等であったようです。




昭和61年、東京で働きはじめた私と一緒に有楽町界隈を散策した時に亡き父が、ぽつりと、



「ここらで、進駐軍のシケモクを集めて吸い、残飯シチューも食べたもんだ」


言ったあと、




「こどもたちは、物貰いになった」


そして、


「女は、パンパンになった」


と呟きました。



敗戦の絶望から立ち上がった亡き父たちには、尊敬の念しかありません。




今、政治・経済戦争に敗れた私たちは、このまま悪化の一途では終われません。



そして、明日は、80回目となる敗戦の日です。