2011年3月11日に起こった東日本大震災は、我が国に甚大な被害と犠牲をもたらしてしまいました。


私自身は、当時、家族を大阪に残し、単身赴任で東京に暮らしていましたが、地震自体の被害は特にはありませんでした。


当初はよく分からなかった被害の状況も、時が経つにつれ明らかになり、その大きさに驚きましたが、関東近圏に住むものを恐怖に陥れたのが、直後に起こった福島第一原発の事故です。


12日15時36分に第一号機が水素爆発を起こし、14日11時01分にはより大規模な第三号機の水素爆発が起こりました。


これで、メルトダウンがおこり、あのチェルノブイリ事故を上回る、まさに映画で観たチャイナシンドロームとなり、東日本にはもう人が住めなくなってしまうのではないのかと真剣に思いました。


駐在していた外国籍の知り合いは、社命もあり相次いで離日し、友人からは、なぜ逃げないのか、東京を離れるべきだと言われた時は、テレビのメディアが報じる、放射能漏れは軽微で原発も安全で問題ないとの情報との違いを実感しました。


ちょうど子どもの小学校の卒業式を18日に控え、年度末前の有給消化予定だったのを1日前倒し、16日夜に羽田から飛行機で伊丹空港に着いた時は正直ほっとしました。


羽田空港が、おおくの女性と子どもの乗客でごった返ししていた状況は、今でも印象に残っています。


それにしてもあの時の悪夢の民主党政権時代の菅直人総理大臣らの酷さ、一方で、地震・津波及び福島第一原発の事故対応を現地で行なっていた方々の頑張りと素晴らしさとの対比は、強く記憶に刻まれています。






そして、13年経った今、党利党略・私利私欲・イデオロギー等のため、科学的根拠を無視し、処理水を汚染水と呼び、被災地福島の復興の足を引っ張る人々を、私は、強く非難するとともに、嫌悪します。



まさに、リトマス試験紙です。