「差別」は、古今東西いろいろなものが、存在しています。


不条理かつ凄惨な差別から、受け手の主観によって差別的と受け取れるものまでその度合いは様々ではあります。



差別をビジネス、党利党略や反日活動に利用する輩は論外としても、差別ではなく、区別だと開き直るのではなく、私たちは、差別をなくす努力を続けるべきであると考えます。



人は差別をするものだとして差別を是認する人がいます。

差別は絶対に許されないとヒステリックに叫ぶ人もいます。

差別と区別は違うと強弁する人もいます。



そういう人たちにこそ、ぜひ認識してほしいことがあります。



今、歌舞伎界の人たちに対して、格式あるあるいは優れたものと認識している人がほとんどだと思います。


しかし、江戸時代以前は、歌舞伎の人たちは、傾奇者とも呼ばれ、社会的に卑しいあるいは危険と言われていたそうです(わたしは馬鹿げたことだと思います)。



すなわち、長い年月をかけ、歌舞伎界の人たちは、自らを律し、芸を磨き、社会の範となり、今では、尊敬され、憧れとなっています。



まさに、差別を乗り越え、昇華しているのです。



これこそが、差別問題を根本的に解決する道ではないかと、わたしは思います。