自分がまだ高齢者ではなかった頃、お年寄りの話って、どうしてあんなに要領をえないのだろうと思っていた。何を言いたいのか、相手に通じないのだ。

別に理路整然と話さなくてもいいけど、相手が理解できるように話してほしいものだと思っていた。

 

自分よりひと回り年上の先輩二人とのランチを設定したこともあるが

年寄り同士の会話は、相手の話を聞かないで、自分の言いたいことを一方的にしゃべっていて、会話のキャッチボールが成立しないのだ。

ある時、おせっかいと思いながら「ねぇ、あなたたち、相手の話をちっとも聞いていないのね。」

と、口をはさんだことがある。

 

すると、自分でも自覚しているようで「うん、わかってるけどさ、人に会ったら話そうと思っていたことを、一気に話さないと、話したいことを忘れちゃうんだよ」と

返ってきた。二人とも一人暮らしなので、日頃思っていることを誰かに話す機会は貴重で、人の話なんて聞いていられないということらしい。

 

会話のキャッチボールは成立しなくても、しゃべりたいことをしゃべって、「あーー、今日は楽しかった!」と二人とも帰っていったので、それはそれでよかったことにしよう。

 

先日、同い年の友達と電話で話をしたのだが、他人と話す機会がほとんどなくなると、会話力は衰えるのだと感じた。一人で暮らしていても、常に頭の中ではいろいろなことを考えていると思う。ところが、それを言葉にして発するということがないと、スムーズにテンポよく言葉が出てこない。

 

年齢を重ねたことが原因ではなく、他人と話さなくなったことが会話力を低下させるのだと思う。。

人と話す時にもぼそぼそと独り言のように話したのでは、相手には伝わらない。

そこへ「あんた、なにを言っているかわかんねえに」なんて言う、思ったことをそのまましゃべる人がいると、ますます口数が少なくなる。

 

一人で暮らせなくなったら、施設で暮らそうと思っているが、会話力の落ちた高齢者同士が人生の最後に集団生活というのは、それはそれで厳しいな。いや、同じ程度の衰え方の人とだったら、平和に話せるのかな?でも、これだけ自由な毎日を過ごしている人間が、施設の中でルールを守って生きるって、窮屈そう。願わくば、最後まで自由の世界に居たいものだ。

 

今日、TVでは恐ろしく優秀になった生成AIが人間と自然な会話を交わしていた。

でも、高齢者施設で、スタッフや入居者とは話が合わないから、私は生成AIと話すわ、なんていう高齢者にはなりたくないな。