とりあえず、雲丹

とりあえず、雲丹

徒然なるままに

親父が病で亡くなって半年くらい経ったかな。

まだ当時を思い出すが少ししんどいけど、数か月前に、

ほんの少し気持ちが軽くなったことがあったお話を少々。

 

親父はかなり強めのASD(自閉スペクトラム症)で、色々と問題がある人間だった。

私との喧嘩も多かったり、幼い時から平気で酷い言葉を投げつけられたりもされてきた。

それでも、三回ほど海釣りに連れて行ってくれたことや、数える程とは言え誕生日にプレゼントをして貰えたり。だから子供への情がゼロ、ではなかった…と思う…多分。

 

とはいえ過去の親父との思い出を、全体で100とするなら

悪い記憶 95

良い記憶 5

 

こんな感じ。

 

人間的に問題のある母からずっと一人逃げ回っていたため、物心ついてから親父が近くにいた記憶はほとんど無い。なので無関心を装っているか、怒っている顔ばかりが思い浮かぶ。夜になれば祖父母の年金でバーに飲みに行き、日中は仕事と称して車に乗って外に出たっきり飯と就寝時間外にいえにはいない。

土日もとにかく、家に寄り付こうとしなかった。

にも拘わらず、これが当たり前の父親像だと、当時の自分は母にも親父にも言い聞かされ、それを信じ、当人たち曰く「立派な親」を小さくも愚かしい私は敬っていた。

 

親父も支配的、母も支配的、所持金の使用一つも常に指摘を受けていた異様な状態も、洗脳されきっていたような私は「親の愛」と思っていた。従いきれない己をダメな奴と評しながら。

二人を父上・母上、と呼んで崇めるようにして自身を見下していた。

辛くても腹が立っても、己の感情を常々殺し続けていた。

 

悲しいのも、辛いのも、全部己が悪い。

他人が私に嫌がらせするのも自分のせい。

私の判断は全部わがまま。

親への異論は全部自分勝手、言い逃れは許さない。

なにもしらない、なにもできない、判断力はない。

あれも無駄、これも無駄。

誰のおかげで生きてこれたと思ってる?

 

こんな無茶苦茶を言われても、「そう、そうだよね」と項垂れながらも納得してきた。

愚痴をこぼしながらもずっと、「でも私が悪いんだ」に、行きついてきた。

心が痛くてもしんどくても、慣れとは恐ろしいもので、この苦痛は仕方ないものということで理由も原因も、もはや異様ささえも考えなくなっていく。

些細な事でもそのダメ出しは繰り返し発生するようになり、絶え間ない劣等感で自信なんてものはマイナス値を更新し続ける。底なんてない、終わりなんてない。

 

時間とともに積み上がり残るのは、外への恐怖心と己への否定感。

 

それが、大きくなってから出来た大切な親友からの言葉で揺らいだ。

 

 親友「○○ちゃんの親、毒親なんじゃない?」

 

さて、重度の自己否定に染まりきった人間がこんな言葉に直面するとどうなるかというと。

まずは「そんな~w」くらいにしか感じません。

 

とはいえ、内心のざわめきはたしかに生じていた。

もうぼろっぼろな心が、何も望もう事もないのに…

その頃ちょうど、世間でも毒親という言葉を聞くことが増えていたので。

 

そこで沸き立つ興味のままに、その手合いの本を借りたり買ったりで読んでみると、

「あれ?」っと違和感が…

 

並ぶ情報や文字列を、なぜか頭が軽く拒んで目が滑ること多々。

辞書並みの厚さの小説も、2日程度で読めるくらいに読書は好きな私がなぜ?となる。

専門用語も多かったので内容が頭に残りにくいのかな?という感じでその時は終わってしまいました。

 

それでも一度触れた情報に興味は止まず、今度は作者様の実体験を漫画にした毒親作品を読みました。

噛砕かれたさまざまな説明と具体性を伴う視覚情報は、わかりやすく頭に浸透してきます。

おかげでだんだん、己の環境との比較ができるようになり…

 

結果、その頃を境に3か月ほど、ひどい眩暈が頻発するという事態に。

ふらつきがおちついて歩けても、ふわふわと足が地面についてる感覚が薄くなることも。完全に天地の感覚がなくなったりもしました。かかっていた心療内科に相談したところ、検査を受けるも異常なし。

とりあえず心因性とのことで具体的な処置もなし…

 

こんな事が起きていても、親との関りの違和感ははっきりと感じていませんでした。

ともあれ、これは生活の乱れもあっての事なのかと、以前から親友に指摘されていた、「自分をちゃんと大事に思う事、その判断をすること」を少しずつ試みるようになりました。

親に逆らいたいとか逃げたいではなく、自分は自分を大事に出来る。それを認めてほしくて。

(今思えば、こんな考え方への流れ自体もかなりおかしいですが;)

そしてある時、どういうわけか親に尋ねちゃったんです。

 

「私、最近変わった?」

 

それに返ってきた答えに、しばし思考が停止するのを感じました。

 

 

母・父『あんた最近、よく逆らうね。

 いうこと全然きかなくなったし』

 

その際に向けられた、苛立ちも露な視線。

絶句しているこちらに、続いて投げられた言葉もなかなか酷かった。

誰かに操られているのかとか、変な思想にどうたらとまあ…

 

苦悩し続けながらも己を否定して彼等に従っていた年月は間違っていたという事、

ここで漸く理解しました。

 

 

面白い話ではない上にまとまりない内容ですが、もうちょい続きます。

とりあえず、また後日。

Video killed the radio star

 

とある有名な洋楽のタイトルであり、唄の一節

ラジオというメディアがテレビという新たな媒体にとってかわられる哀愁を綴った(※個人的解釈)名曲なんですが…

 

そんなテレビは今、ネットに葬られつつあるようで。

 

「最近はテレビを見る人が減ったんですよ」

いつだったか、テレビの周辺機器を買い替えに家電店を訪れた際、愛用していたそれが見つからずに店員に在庫を尋ねた際にそんな事を言われたのだ。

テレビの周辺機器はそのあおりを受けて売れなくなってきており、開発はもちろん製造や販売から撤退する企業が増えていると。

 

自分もWebで色々な番組を見ることが多くなっていたし、あちこちのメディアでテレビを見るひとが減ったという声を聞くことがあったが、そこまでの事になっているとはと、正直驚いた。

とはいえ、Web配信の便利さを考えたら納得な現象なのかもしれない。

 

ローカル・キー局たがわず番組を悪くいう気はないが、まず「楽しみな番組が減ってしまった」。ついでニュースが近年、総ワイドショー化してしまっている。「得たい情報」以上にそれにまつわる聞くつもりもない不満や推論を注がれ放題になり、結果つまらないとため息をつきながらテレビのスイッチを切ってしまうのが私の現状だ。

 

そんな中、Webの力が皮肉にもラジオに新しい息吹を吹き込んでいると、ラジオのDJが語っているのを耳にする機会が時折ある。もともと一部のWeb経由のラジオ配信は人気だったのは知っていたが、それ以外のラジオでも穏やかにリスナーが増えているのだという。

なんでも、ラジオ放送局のWeb配信やラジコの普及などでそれこそ、どこにいても他県のローカルラジオも気軽に聞くことができるようになったからだと。そして最近私自身もラジオにまつわるコラムで似たような記事を見る機会もあって、なるほどなあ、とそのしたたかな息遣いになんだかほっぺがゆるんでしまった。

 

買い物や病院に行くとき、カーラジオから流れてくる流行の楽曲に不意に過去を思い出す。

海外のヒットチャートラジオの再編成番組を、夜遅くまで聞いていたあの頃。

今でこそ、深夜帯は再放送ばかりになってしまったラジオ。

それでも末永くあってほしいと願わずにいられない。