まず、最初にお遍路に行かせてもらえる環境にあった事。
急にもかかわらず、両親に言ったら背中を押してくれた。
仕事をしていないから、日程も自由に決められた。
いつ帰ってくるか分からない状態で行く旅なんて初めてだ。
とて贅沢な感じがした。ワクワクした。
そして、行けるお金があった。
お遍路をしている間、
公共の乗り物があって、運転手さんがいて、
歩き遍路用の標識や、遍路道を整備してくれている人がいるおかげで、
迷わず、間違わず辿り着くことができた。
お宿を営む方達がいて、食事を作ってくださる方がいて、心身共に休まる事ができた。
一日の行程が20番鶴林寺から、21番太龍寺、22番平等寺という
徳島の山を二つ越えるという第2第3の遍路転がしを歩いた日、
前日の宿で一緒になった方がずっと私を待っていてくれた。
自分のペースで歩けないし、静かに歩きたいしで、
最初は、一人で登りたいなぁ。とその人を疎ましく思っていた。
(私自身、ハッキリ伝える事ができずにいた)
その日はいろんなお遍路さんに世話をしてもらい、なかなか一人にはなれず、
今日はこうゆう日なんだなぁ。と思っていた。
山を二つ越えるのはやはり大変で、
やっとの思いで二つ目の麓まで下りてきてから、平等寺が近いと思っていたら、
「ここからあと二時間くらいやな」と。
『二時間っ !!??』思わず叫んでしまった。
(余談ですが、この時一緒に歩いてくださったおじさんに後日メールにて、素のあなたが出ていて、キュートでチャーミングでした。と言っていただきました。嬉しかった)
・・話は戻り、
そこからさらに峠が待っており、結果山三つ越えたことになった・・!
平等寺に到着したのは5時近かった。
私一人だったら、もっとのんびり歩いていて、遅くなっていた。
あと二時間と聞いたら、歩くの怖くなって、タクシー呼んでたと思う。
遭難する人が相次いでいたという、怖い山の遍路道は一人では通れなかったと思う。
励ましてくれて、心強くて、一緒に大変さを分かち合える人がいたからこそ、
成し遂げる事ができたな。と後になって思った。
そう、正しい道が歩けたのは、本当に目に見えない力が働いているんだな、と感じた事。
お遍路の標識が見あたらなく、設置してある地図をみても判断しにくくて、
自分の感覚で進むにも勇気がいるなぁ、どうしようかなぁと思っていると、
変わった方角から、歩きお遍路さんがいらっしゃった。
「どうしたの?分かる?」と声をかけてくださった。このタイミング!
それから、30分程ご一緒した。
もう大丈夫って思えた所で、
「ありがとうございました。後はもう大丈夫です。自分のペースで歩いていきます」
と伝える事ができた。
その方は「そう?じゃね!」と颯爽と歩いていった。
後は、旧遍路道より、街中の大きい道を歩いた方がいいと、宿の人にもお遍路さんにも言われた道。
地図を持たず、道路の歩き遍路シールだけを頼りにしてきた私にはかなり不安な事で。
しかも、その辺りから標識がグッと減りだした・・。
不安な中歩いていたら、気づくとちゃんと街中の大きい道の遍路道を歩いていた。
更にこの道がよかったのは、その辺が「佐古」という地域だったという事です。
佐古駅、佐古小学校、佐古クリニック、佐古○番街(一~八くらいあった)etc・・・
どんどん目に「佐古」という名前が飛び込んでくるので、
お遍路開始一日目の不安な私にとって、すごく安心できました。
先生に見守られて、応援されているような感じがして、勇気がでました。
他には、22番平等寺近くの宿で泊り、夕食を頂いている時。
一人のお遍路さんが、
「明日のコースは海側か山側かどっちがいいかなぁ・・」
と聞いていて、「えっ?そんなのあるの?」とドキッとして。
と、いうのも、通常は22番付近で宿泊されたお遍路さんは翌日23番薬王寺まで23km、一気に歩かれる事がほとんどで。
私もそのつもりだったけど、前に書いた20番から22番の山三つ越えをした私はすっかり心身共に疲れ果て、途中の港町に一泊するようにしていたんです。
山側行ってしまったら、宿に辿り着けません。
この質問をしてくれなかったら、私はどうなっていたのか・・。
そして、気を付けて歩いて、不安と共に歩いていたけど、無事海が見えた時はとても感動しました。
・・・少し長々と書いてしまいましたが、
こうしてみても、たくさんの方が私のお遍路に携わっていました。
出逢っていなかったら、お遍路は無事できていません。
あの時、感動して感謝していたことが、
いつの間にか当たり前にしていた私。
佐古先生に指摘していただき、有難うございます。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。