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潜水服はモスラの夢を見る

主に映画の感想を語るブログです。

*この記事は2018年2月2日にyahooブログに投稿したものです。yahooブログ閉鎖に伴いこちらに転載しました。一部不適切な(というか本来伝えたい意図が伝わりにくい)表現があったため、加筆・修正を加えてあります。

誰がための日々

制作国:香港(2016)
上映時間:102分
監督:ウォン・ジョン
脚本:フローレンス・チャン
撮影:チャン・イン
出演:ショーン・ユー、エリック・ツァン 他

あらすじ
婚約者のジェニー(シャーメイン・フォン)と家を買い、結婚をして、家族を作る、そんな将来設計を考えていたトン(ショーン・ユー)には寝たきりの母親(エレイン・チン)がいた。弟はアメリカに永住し、父(エリック・ツァン)はお金を入れるだけで家には寄り付くことはなかった。自身の身体が思うようにならないいらだちから、トンに冷たくあたる母。それでも母を施設に入れたくはなかったトンは会社を辞め、自宅でひとり母の介護にあたっていた。しかし、ギリギリの状況の中、トンはある事件により母を亡くしてしまう。ショックのあまり重いうつ病を患ったトンは精神病院に入院。1年間の治療を経て退院したトンは、父と2人、狭いアパートでの生活をスタートさせる。(映画.comより)

評価:★☆☆☆☆

◆感想(ネタバレなし)
観た後で知ったのですが、この作品は既にNETFLIXで配信されていたようですね。入場者得点で麻婆豆腐の素がもらえたのですが、映画はそんなにほっこりした要素はありませんでした

特に躁うつ病を患った人に対する偏見にフォーカスを当てた作品です。私個人としては、果たして自分は躁うつ病になった人のことをどんなふうに観ているだろうかと考えさせれました。

お話としては精神科病院から退院してきたトンと父親の現代パートと、トンが母親との暮らしを回想する過去パートが交互に展開していく作りになっています。


主人公父子の描き方が良いです。二人とも不器用だけど優しくて、これまで一緒に過ごした時間こそ短いけれど確かに父子なのだと感じさせられます。その優しさゆえに陥ってしまった苦境であるというのがなんとも切ない気持ちにさせられます。特に私のお気に入りは父親がトンに、気分高揚に効果があるというチョコレートを食べさせようとするシーンです。あまりの不器用さにちょっとコミカルな感じもしてしまうシーンなのですが、父親の優しさと必死さが伝わる印象的な場面でした。

映画として良い出来だとは思います。ただ、なぜ★1つなのかというと、この手の作品で絶対に犯してはいけないタブーをこの作品が犯しているように私には観えたのです。これはネタバレありの感想で書きたいと思います。

*以下ネタバレです











◆ネタバレ
退院したトンは自身の現状が受け容れられず薬を飲まずに過ごしてしまう。ある日トンはジェニーと再会する。トンは喜んだが、ジェニーはトンが負った借金を、トンの代わりに債権者から取り立てられたことがトラウマとなっており、それを克服するためキリスト教の信者になっていた。信者の集会でジェニーはそのことを涙ながらに吐露し、ショックを受けたトンはスーパーで泣きながらチョコレートを頬張る。その様子がインターネットにアップされ、テレビでも報道されてしまう。トンの父親は通っていた精神科患者の家族会からトンを再入院させることを提案されるが、もう人任せにはしたくないと拒否する。その日父親が帰宅すると大家とアパートの住人から、トンを連れてアパートを退去するように言われてしまう。


◆感想(ネタバレあり)
このお話の主人公は一応トンなのだと思いますが、実は父親の物語のように思いました。作中でトンは薬を飲もうとせず、躁状態のときに屋上に菜園を作ろうとしたり、ジェニーの件でショックを受けてうつ状態が悪化したりで、実は一歩も前に進めずに終わってしまいます。これに対し、これまで家庭を顧みなかった(わけではないのだけど結果としてそうなってしまった)父親の方は、家族が苦境に陥ったことに責任を感じて苦しみつつもなんとかトンに向き合っていこうとします。それは最初は現実逃避のように本屋でロマンス小説の立ち読みをしていた前半と、(恐らく本をきちんと買って)仕事の合間にうつ病の闘病記を読んでいる中盤の姿で対比的に描かれています。

しかし、私がどうしても気になってしまったのは「人任せにする」ということの定義です。これは劇中で「家族内の誰かに任せっぱなしにする」と「家族外の第三者に任せる」の両方の意味で使われていたのですが、この二つは本来全く別のことで絶対に切り分けて描かなくてはいけないことだったと思います。トンを「家族外の第三者に任せる」ことを父親が拒むシーンは、それがあたかもそれが良き事のように描かれるのですが、「家族外の第三者に任せる」ことは別に責任感がないからすることではないのです。そんなことを言い出したら世界中の老人ホームに親を預けている子供はみんな無責任ということになります。「家族外の第三者に任せる」ことをこの作品ではトンの父親のセリフで「問題の棚上げ」「臭いものにふたをする」とひとくくりにしています。これはこの手の映画で絶対にやってはいけないタブーだと思います。そもそもそのラストで良き事として描かれる「家族外の第三者任せる」ことの拒否は、最初にトンが母親を施設に入れることを拒んだのと全く同じことです。そしてそのトンの選択の結果、この一家の悲劇が始まっていくのですから、作品内でも矛盾がある気がしてなりません。

この映画がこうした社会問題に真に取り組むのであれば、家族の療養や介護は家族の中ですべきという風潮にしっかり逆らうべきだったと思います。認知症もうつ病もれっきとした疾患なので、家族の愛だけではどうにもならないことだってあります。また、「家族外の第三者に任せる」ことが「家族が面倒を見ないこと」は必ずしも同義ではありません。

総じて認知症やうつ病の家族の面倒を実際に見ている人達の苦しみに寄り添ったように見えて、やっぱり家族が頑張って面倒見るのが理想だよね、となんだか突き放した結論を提示したような気がしてなりません。病気とどう付き合うかは家族の数だけ答えがあって良いと思います。それはこの作品の主題となる部分ではないのかもしれませんが、題材として認知症やうつ病を扱う以上、こういった画一的な描き方はしないで欲しかったと思いました。


◆まとめ
・映画として良い出来ではある
・しかし、個人的には「家族外の第三者に任せる」ことを否定した内容が気に食わない。