機械仕掛けの殺人は「古典ミステリーの原点」なのか:草野 唯雄『蔵王山荘連続殺人事件』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

機械仕掛けの殺人は「古典ミステリーの原点」なのか:草野 唯雄『蔵王山荘連続殺人事件』

草野 唯雄
蔵王山荘連続殺人事件』(角川文庫)

大金持ちの死の直後、彼女の遺産相続人たちが山荘にて次々と怪死。遺産の分け前を狙った口減らしか、それとも異常者の殺人遊戯か。「古典ミステリーの原点に挑んだ」(「作者のことば」)という「本格推理の傑作」。

確かに「古典」だろうさ。シチュエーションは。しかしいくら古典でも、本書ほどの機械トリックを連発する作品はまず存在しないといってよい。

ほぼすべての殺人に図解説明が付される親切設計で何とかトリックは理解できるのだが、それにしても機械トリックというものは、それを仕掛けることができた人間を探すところから犯人に追求するという点で半アリバイものへと化し、必然的にロジックを弱体化する羽目に陥る。

とりあえず本書の場合は、機械トリックであることがひとつのミスディレクションになっていることは否めないが、それにしても連続殺人ひとつひとつが密接に関係していないなど、実に粗さが目立つ。

これのどこが「原点」なのか作者にぜひとも聞いてみたいが、確かに陳腐な展開に終始するあたりステレオタイプな「古典」を踏襲しているといえる。しかし古典とはこのような、過去の作品をなぞったがゆえに「古典」なのではなく、新奇の精神に富んでいたがゆえにいつの時代でも読むに耐えるものなのだ。発表の時点ですでに「古典」である書物は存在せず、そのようなものを狙ってしまう作者の心意気には疑問を感じざるをえない。

初版:1983・7 カドカワ・ノベルス(『蔵王山荘皆殺し』改題)
★★★☆☆