灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
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佐野洋『脳波の誘い』(講談社文庫)元版:1960年

 

佐野洋『脳波の誘い』(講談社)

 

雑誌記者の取材の中で脳波を送り他人を操れると豪語する老人。自らの原稿出版を賭け、記者の挑戦を受ける。「脳波で人間を自殺させてみろ」。半月後、記者の指定した人物が死亡する。それは記者の愛人の夫だった…

読者をぐぐっと物語に引き込む見事な謎が、法廷ミステリとして決着するという贅沢さ。

特に法廷シーンは作中の伏線を活かして辣腕弁護士の奇襲に結びつけるあたり、黎明期の法廷ミステリながら十分に楽しむことができる。

真犯人の意外性はともかくとして、謎の魅力と犯人へと至るプロセスが妙味の秀作といえよう。

しかし欠点もある。

まず動機の醸成がいくらなんでも不自然すぎること。真犯人の動機が平凡なのはいいのだが、それが犯行へと唐突に飛躍する奇妙さ。

読んでいる最中は犯人がわからないから瑕疵に気づかないのだが、読後、時系列を整理するとその行動に不自然さを感じるはずだ。

そういえば前半でフォーカスされた老人はいつの間にか事件の背景へと消えている。まさか、彼の「脳波」に犯人が動かされたとでもいうのだろうか…

元版:

(講談社 書下し長編推理小説シリーズ6)1960年

 

 

 

清水一行『捜査一課長』:甲山事件の冤罪被害者をもろに犯人扱いした戦後ミステリ史最大の汚点

清水一行『捜査一課長』(集英社文庫)

 

名作『動脈列島』(1975)にて推理作家協会賞を受賞した清水だが、乱作が過ぎ、ほかに一体どのような作品があるのか皆目見当がつかないというひとも多いのではないか。

 

そんな清水の裏の代表作というべきなのが、本書である。

 

1978年に集英社よりハードカバーで刊行されたこの本、タイトルだけ見れば何てことはない有象無象の一編と思われただろう。

 

ところが、本書は戦後最悪の冤罪事件として名高い甲山事件をモデルとし、しかも不当逮捕や自白強要等について国家賠償請求訴訟(国賠)を起こしていた冤罪被害者に該当する作中人物を思い切り犯人として描くことで、読むものの目を曇らせたであろう最悪の作品である。

 

まさか本書の影響ではないだろうが、被害者は本書が上梓されたのとほぼ同時に一審で無罪となった殺人罪で追起訴され、またしても長い戦いの日々を送ることになる。

 

では、甲山事件とはいかなるものであったか。その概略を説けば、そのまま本書を語ることになるので、少々説明しよう。

 

1974年、西宮市の知的障害者施設で発生した事件で、浄化槽内にて712歳の園児2名が溺死体となって発見されたことに端を発する。

 

浄化槽には重さ17kgの蓋がしてあったため、園児はそれ開けることができないと決めつけた捜査陣は、さらに外部からの侵入者の痕跡が発見できないことに勢いづき、内部関係者のなかでアリバイがなかった女性を犯人と独断して不当逮捕にいたるのである。

 

のちに彼女が検察から証拠不十分で釈放されることからもわかるように、動機も不明、具体的な証拠もないというきわめて杜撰な捜査であった。

 

本書はタイトルによくあらわれているが、警察側から事件を描いたもので、捜査プロセスは当然として、刑事や駐在たちの家庭や人物像を追求することで、捜査陣に奥行きを与えようと工夫を凝らしている。

 

逆に被疑者側の園関係の人間については、あくまで事件に関係がある部分のみが触れられ、彼らは犯罪を犯しえたもの、捜査を妨害するものといった以上の存在ではない。

 

解説の権田萬治は、87分署シリーズマルティン・ベックと比較し、「いちおう容疑者の自白を得て事件を解決したものの、法廷で有罪判決を得られるかどうか必ずしも確信が持てない。という微妙なところでこの小説は終っているが、著者は、この間の桐原重治捜査一課長の不安や焦り、苦悩を乾いた目で見詰めている」として、「捜査官の肖像を浮き彫りにしたところにこの作品の新鮮な魅力の一つがある」「日本の数少ない警察小説の収穫」と持ち上げる。

 

そうじゃないだろう。

 

法廷で有罪判決を得られなかったのは、強要した自白と乏しい物証で公判を維持しようとしたが故であり、本書でもそれは瞭然なのだ。

 

そこに突っ込んで容疑者は無罪ではないかと言及するならまだわかるが、見込み捜査で白星を挙げられるか悩む「捜査一課長」を描いて「警察小説の収穫」とはへそが茶を沸かす。

 

実は本書は調書等の資料をかなり読み込んで書かれており、ここで描かれた捜査過程が杜撰だなあと感じさせるのは、実際の捜査そのものが杜撰だからなのである。その点で、マルティン・ベックに見劣りし、人物の魅力で87分署の足元にも及ばない、実に微妙な警察小説なのだ。

 

ところが、それでいて最後まで一気に読ませるのは、作者のこなれた筆さばきと事件そのものへの興味によるものだろう。その点で仮にこれが完全なフィクションであれば、舞台の特殊性、犯罪状況、真犯人への関心等から、捜査プロセスが甘いとしても評価に値した。

 

しかし、筆は強者におもねるためにあってはならない。弱者を叩くのはもってのほかである。その点で、本書は日本ミステリ史の最暗黒である。

 

ただし、本書で甲山事件なる戦後最悪の冤罪事件を知り、その実像について資料をあたっていくきっかけとなるならば、存在価値もあったといえるだろう。

 

ちなみに本書は冤罪被害者からの訴えにより二度と日の目を見ることはない。

 

★☆☆☆☆

森村誠一『新幹線殺人事件』(角川文庫)

森村誠一『新幹線殺人事件

※画像は角川文庫旧版

 

1970年8月カッパ・ノベルス書き下ろし。その一年前に上梓した『高層の死角』にて乱歩賞を受賞後、『虚構の空路』につづいて発表したアリバイもの。

 

角川文庫のカバ袖には

独創的な密室トリックと芸能界の裏面を抉る鋭い社会性とで、戦後推理小説中屈指の名作とされる、著者の最高傑作!

とあるが、犯行現場となった新幹線に容疑者が乗ることができなかったという意味では広義の「密室」だとしても、やはり素直に考えれば「犯行の時に現場にいることが時間的に不可能だったという情況を拵えてアリバイを作るトリック」(江戸川乱歩「類別トリック集成」)であり、「著者の最高傑作」という文言も含め、眉唾ものの紹介文である。

 

ただし、森村誠一ならではの資本制のロジックに乗って生きるひとびとへの悪罵にも似た批判が本作の背景をなす芸能界には概ね該当するという点では、「社会性」云々ということもいえるかもしれない。※

 

基本的に森村は貨幣や名声等の「虚」を追い求めるひとびとを憎悪しており、情愛や連帯といった人間同士のつながりを大切にしている。彼の作品に登場する多くの人物は、何らかのかたちでその人間らしさに挫折してしまった被害者であって、過去を拭い去るために現在を生きているといったことが多い。

 

本書でいえば、過去、結核ゆえに男性に捨てられた万博のプロデューサーの地位を争う芸能プロダクションの女社長であったり、生まれて間もなく焼却炉に廃棄された容疑者といったあたりだが、惜しむらくは、そのような人物像がストーリーに十全に生かされていないということだろう。

 

なぜなら、万博プロデューサーの座をめぐる巨大芸能プロ同士の争いに端を発する新幹線内での殺人、それも容疑者はその新幹線に絶対に乗ることができないというアリバイをもっているという不可能犯罪状況を核としながらも、後半にとってつけたようなマンション内での殺人が発生することでそれまで散々盛り上げた人物像が薄れてしまい、ただの芸能界批判へと転化してしまうからである。

 

トリックを惜しまず複数投入するという初期森村のサービス精神はいいのだが、特に密接な関係があるとはいいがたく、ストーリーのバランスにひずみをもたらしてしまっている。

 

また、途中から捜査を描くことが主眼になるのはよいとして、トリックの解決の仕方が理詰めの延長線上にあるのではなく、何気ない日常の気付きから唐突に突破口が開けるという、少々偶然によりすぎているところもやや物足りない。

 

しかし、捜査過程は十分に楽しむことができるし、トリックもあっと驚くようなものでないにしても、よく練られている。ラストでいきなり思い出したかのように現れる女社長の愁嘆場も、作品の結末としては悪くない。

 

『高層の死角』あたりの森村節が気に入ったひとは、読んでみてもいいだろう。

 

※なお西郷輝彦襲撃事件やジャニーズ事務所の暗黒ぶり等を描いた芸能界最強のタブー本として、星伸司『虚飾の海―さらば芸能界よ!! 実名告白手記』を勧めておく。

 

★★★☆☆

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