以前小学校で働いていたときのワンシーンで

とっても印象深いことがある。

 

 

子どもたちが帰った後の放課後、

いつも教室を掃除している先生がいたの。

 

 

昼休みの後に

「掃除の時間」は毎日ある。

 

 

…と言っても、

追いかけっこや

かくれんぼや

「男子が全然やってくれない」とか

そういう時間なんだけど。

 

 

 

わたしは当時、

先生の放課後に一人で掃除をする姿を見て

手伝いながらも

「それは子どもたち自身にやらせるべきなのではないか」

って思ってたの。

 

 

 

 

 

だって、そうじゃない?

 

 

誰が使ってる教室なのかって言ったら自分たちだし、

「汚い教室」を大人がこっそり綺麗にしてるって

なんか違うんじゃないかなって。

 

 

 

 

それをね、ある日掃除を手伝いながら先生に伝えてみたの。

 

 

 

 

そしたらね。

 

 

 

「汚い教室って、スラム街と同じなんだよ。

こういう環境に身を置いている人間なんだ、というセルフイメージが

ますます自己否定、自己卑下に走らせる。

落ちているゴミが当たり前だと思う。

そのゴミを誰も拾わないことが当たり前だと思う。

そのゴミの中にいる自分を当たり前だと思う。」

 

 

 

こんなような答えが返ってきて、

なんか頭をガーーーーンて殴られたような感じがしたの。

 

 

 

 

 

 

翌日。

その先生は、朝の会でこう言った。

 

 

 

 

「昨日、君たちが帰った後で教室を綺麗にしてくれた人がいる。」

 

 

 

 

 まっすぐわたしを見てそう言ったんだ。

 





 

その後ね、

放課後に掃除を手伝ってくれる子どもたちが

一人、また一人と増えたんだよね。

 

 


 

そうか、こういうやり方もあるんだ、と知った。

 

 

 

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小学校を離れた今も、時々思い出す。

 

 

子育てしてたら

「片付けなさい」は日常のワードだから。

 

 

 

 

でもね、

「片付けなさい」という人こそ、片付けていないという事実。

「片付けなさい」を言わなくても済むような環境を

作れていないということだから。

 

 

 

上から定番の小言を垂れてるだけじゃあかんなーって。

自戒を込めて。

 

 


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