コロナを通して気付いたことのひとつを

今日もシェアするね。





この一変した生活のなかで、

最初は私たち、”アフターコロナ“の世界を描いたはず。



「落ち着いたら会おうね!」

「落ち着いたらまたあそこに行きたい」




そう、

「落ち着いたら」が前提なのが

“アフターコロナ”。





最近はそれが少し変わってきた。



どうやら思ったより長期戦になりそうだな、という

認識が広まってきて、



巣篭もりグッズが売れていたり



「家のなかで快適に過ごそう」という思考に

シフトしてきた。





これって何かっていうと、






アフターコロナ” から

“withコロナ” の思考なんだと思うの。







そう、共存。









これって、

「イライラしてしまう自分」にイライラして

でも追い出したいと思っているのも自分の人格だから

自分のなかで喧嘩になっちゃってる状態と

そっくりだと思ったの。




共存できていない状態。






人によっては喧嘩というより戦争レベルで

自分のなかでの争いが激しいこともある。




でも、自分のなかに確実に存在する自分自身。



自分自身の叫びでもあるんだよね。




「でもわたしだってこれが嫌だった!!!」



「こうされると本当に腹が立つ」



「こういう条件が重なると優しくできない」







それを、



「イライラママはダメで

ニコニコママで在らねば」




そうやってジャッジをして

自分のなかの自分を追い出そうとするから

そりゃ苦しいわけだよね。。






だから、

イライラが存在しない人格や世界を求めるより




”withイライラ“の世界を前提に

子育てを設計した方が

現実的だし


何より自分の内側の争いを生まないと思った。






「イライラすること全然あるよぉ〜」って言いながら

ニコニコしてる人って、

どんな自分も丸ごと受け入れていると思うの。





何かを悪として

追い出そうとする仕組みは

いずれ自分が苦しくなる。






だから、



イライラするわたしもいる。

こんな時は反応しやすい。

でもそれはわたし自身の声でもある。

だから追い出そうとするんじゃなくてヨシヨシする。





“withイライラ” をベースにすればいい。





そのうち、

そのフェーズを心底卒業したいと思ったときに

イライラママ卒業計画を立てたらいいんじゃないかな。





コロナ渦を通してそんなことを思ったよ。








このトマト、見て🍅✨








形なんて整ってないところが

最大の魅力だよ♥







また書きます^^




今日も素敵な一日を✨