いつも答えの出ないままに終わる哲学カフェ。
勿論それでいいし、それで大成功のですが、
どんな風に感じその後を生活なさっているか、ちょっと気になりますね。
 
快く、その後の様子を教えて下さった方がいらっしゃるので、掲載しますね。
 
感想紹介
Aさん
今回のテーマは、私にはあまり疑問を持たずに受け入れられるものだったので、すっかり無口で皆の意見に耳を傾けておりました。
と言うのも、私はルールは「誰かに押し付けられるものではなく、先人がコミュニティをより良くするために考えてくれたもの」という認識があったからです。もちろん、上の人間が楽するために生まれてしまったものもあるとは思うのですが、「その時上にいた人間でなかったから仕方がない」という考えもあって、なぜか従ってしまう、小度胸で小市民な私・・・
今まで、ルールで不自由を感じたことも、疑問に思ったことも少なく・・・
でも、子どもが何でこんなルール、規則があるの?という問いがあったときには、「前向きな」目的を一緒に考えるようにしてはおります。
(こんな事故があって、困ったんじゃないかな?とか、こうなったら大変だから決めたんじゃないかな?とあなたのためにある。的な話をしてきていたけど、良くなかったかな⁉)
そして、その上で理不尽だったり、不要に思えた時、皆に声を掛けて考えたり、行動できる人になったら素敵だな。と思いました。
理不尽だったり、不要だったりしても、一応は、その時誰かが必要だと思って、一生懸命考えてくれたもの。と思うのも悪くないと思うのです。
 
他人に迷惑を掛けない。という言ってしまいがちな言葉も、迷惑の本質を考えなくては。と思いました。
他人の手を借りなくては生きられない人は、手数は掛けても、迷惑は掛けていない!と強く思いました。
子どもと語り合いたい内容がてんこ盛りでした。
 
 
Bさん
家に帰ってからも、ずっと考えています。
私が考えているのは「個性」の在り方についてです。
ルールが誰かを縛り付ける紐のようではなく、その子がより成長するためのちょっとした壁であってほしい。
そう思うから、どのように折り合いをつけていこうか、また、よく考えてみようと思っています。
 
Cさん
対話していく中で、社会的なルールだけでなく、何人かが集まった時に、「わっ」と湧いてくるルールもあると気づきました。
私たちもそうだけれど、子どもたちも本当に様々なルールに囲まれて頑張って生きているなぁと思いました。
 
 
音譜皆さんから頂いた 心に残ったフレーズ音譜
・社会や家庭など様々ルールがあり、相反するときもあると思うが、自分が大切だと思う考えを自分なりのルールとしていいのではないか。
つまり、すべてを守るのではなく、自分の考えに照らし合わせてルールの重さを捉えてもいいのでは。
(自分は家庭:学校=7:3と考えるなど)
 
・ルールは形骸化しているのではないか
→なぜ、そのルールが必要だったのか、今ではいらないルールも存在しているのではないか。
 
・ルールは社会システムの維持(または、教える)のために生まれたのではないか
 
・そもそも、社会システム自体が今後なくなるのではないか
 
・ルールは自己表現を外見にとらわれすぎないようにするための制約ではないか。
 
・画一化することでかえって、小さな個性が悪めだちしていじめにつながることはないか
 
・「人に迷惑をかけない」とあるが、「迷惑」とはそもそも何か。
しっかり生活する、学校生活を送ることが「迷惑」にならないための暗黙にルールになっていたら
それでいいのか。
出来ないことがある人にとって相当なプレッシャーになるのではないか。