後半です。

 

休憩を挟んで、おやつタイム…そして本番です。

 

今回は発言チケットを用意して臨みました。

前回と重複しますが、説明させていただきます。
 
 

一人5枚ずつ渡します。3枚は、「発言しましょう」券、2枚は、「発言してもいいよ」券です。

つまり、できれば最低3回は発言するというものです。

残りの2枚は、発言し足りないときに使ってよいというルールになっています。

このカードの利点は、おとなしい子の発言を促すことができ、逆に、発言したくて仕方がない子の発言を抑制できる点。発言という弾を「ムダ撃ち」せずに、本当に発言したいときまで、取っておく。大事に大事に発言する様子がうかがえました。

 

質問をしました。

 

好きなものを好きなだけ食べていい時とか、好きなことを好きなだけやっていい時とか、要するに、とびきり嬉しい時って、どういう状態なんだろうか?

例えば、〈一人で遊ぶ〉のと、〈友達と遊ぶ〉のを比べて、友達と遊ぶほうが断然楽しいとすれば、それはどうして?

手始めに、「遊ぶときに、一人で遊ぶのと、友達と遊ぶの、どっちが楽しい?」と訊いてみました。

多くの子が、「友達と」に手をあげました。

 

ところが、2人ほど、一人で遊ぶほうがよい、という子がいました。

 

そこで理由を訊いてみることにしました。

 

「釣りが趣味で、釣具をいじるのが大好きなんだけど、そういうとき、何時間でも、いじっていられる」

 

 

それに対して、

 

 

「一人で遊んでいるのは、遊んでいるというよりも、いじっているという感覚なんじゃないか」

 

 

ほう!

 

 

「一人遊びは、想像力も鍛えられるし、楽しいけど、それは〈好きなものをいじっている〉という感覚であって、自分としては、複数で遊んでいる時を遊びと呼びたい」

 

 

 

おもしろい意見だと思いました。

 

 

それに対して、

釣りが趣味と答えた子は、よく分からないようで、首をひねり。

 

別の子が、

 

 

「一人で遊んでいても楽しいし、友達と遊んでいるときも、もちろん楽しい。どちらも楽しいのに、なぜ友達と遊ぶときだけ、遊びになるのか分からない」

 

 

ここでテーマが、なだらかに移り変わっていることに気づきます。

 

当初の質問は、「一人で遊ぶのと、友達と遊ぶの、どっちが楽しい?」というものだったのですが、子どもの融通無碍な関心と発想により、「一人で遊ぶことは、遊びか」というテーマにすり替わっていました。

でも、これでオッケー。特に低年齢の子ども対話の場合は、無理に主題を戻す必要はありません。

 

ここで大人から、

 

 

「正しい定義はなくて、どっちも遊び。友達と遊ぶことでコミュニケーション力が鍛えられる。大人になって会社に入ったときに、仲間と一緒にやっていかなければならない。その意味で、友達と遊ぶことは、勉強にもなる」

 

 

ごもっとも。経験を積んだ大人だからこその意見であり、とても大事な観点です。内心で「うむうむ」と頷きながら、ここで私は、一つのことが引っかかりました。

 

勉強?

勉強という言葉が出ました。

遊びだったはずが、いつのまにか勉強?

だとしたら、それは遊びではないのでは?

 

ここから、「遊び」の反対は「勉強」なのか、という問いが出てきます。

 

勉強だったら、それは楽しくないんじゃないか?

 

その質問に対して、子どもが、

 

 

「楽しく遊びながら、学べることもある」

 

 

すごいね(笑) 子どものうちから、楽しく遊びながら学べることもある、ということを知っているなんて。

 

 

ここで論点整理。

 

考えるべき2つの問題がありそうです。

1)「一人遊び」と「複数での遊び」の関係。

2)「遊び」と「勉強」の関係。

 

この二つの問題を、区別しつつ、絡めつつ、同時並行的に話し合うのは、子どもたちには少し難しそうです。

 

 

ここで、大人から、

 

友達と一緒にいることになんとなく安心感を抱いているらしい子どもが多い様子から、

「一人でいることって、そんなにこわい?」

という質問が投げかけられました。

それに対して、子どもたちから次々に答えが返ってきました。

まとめると、どうやら次のようになりそうです。

 

●一人でいること

 

→ 遊びのとき = こわくない。むしろ楽しいときもある。

→ 生活の場合 = こわい(こわいというより、不安、心細さ)

 

※ただし、「幽霊が怖い」というのとは少し違うようです。

 

 

子どもたちが話してくれた例は、こんな感じです。

 

・おうちでお留守番しているときに泥棒が来たら、一人だと逃げるしかないけど、友達がいれば戦える。

・一人だと、道を歩いているときに車に轢かれちゃう。

・買い物のときなどに、駐車場の車の中に一人残されて、救急車のサイレンが聞こえたときに、不安になった。

・家でお留守番をしていると、タンスから何かが出てきそう。

 

子供たちの話から、はっきりと分かったこと。

 

家族がいることの安心感。

家族や友達に守られて暮らしているという実感。

普段は口にしないけど、日々安心して暮らしていけるのは、お父さんお母さん、兄弟、友達がいるから。

生活においては、他者と共同で生きてゆくことが、いかに大事か。子供たちの素直な発言を聴きながら、そのことが、よく理解できました。

 

他方で、趣味や遊びにおいては、一人の時間も楽しい。

 

釣具をいじっているときに、怖いとは感じない。むしろ、没頭して何時間でもいじっていられる。ここに他人は必ずしも入ってこなくてもよい。

 

ある子が、最後にまとめてくれました。

 

 

「遊びに関しては、一人でも、友達といても、どっちも楽しい。どっちも遊びと呼んでいい。生活するうえでは、家族や友達は大事。他の人がいるほうが安心」

 

 

今回は、年齢に関係なく、どの子も、よく考え、よく発言したような印象があります。

 

途中、他の子から投げかけられた異論に応えようと、一所懸命に言葉を探しながら、「うーん、なんて言ったらいいかわかんないけど!つまり・・・うーん」と頭を抱えた子がいました。

とてもいい風景だと思いました。

その子の頭の中では、きっと、「想い」と「言葉」が交錯し、すれ違いながら、渦巻いていたに違いありません。伝えたくて、焦るけど、でも、ぴったりの言い方が見つからない。

自分の意見を相手に届けようと、一番ぴったりくる言葉を必死に探っている、その様子から、今この瞬間、その子は、必死に言葉を紡ごうとしている――どんな国語の授業よりもまっとうな「言語運用能力」の訓練をしている――そう思えました。

すばやくきれいな答えを出せたときより、なかなかきれいな答えが出ずに悩んでいるときの顔のほうが、なぜかとっても好きな私。

 

次回も楽しみです。

 

 

 

江口 建(帝京大学)