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1/25に開催しました 哲学カフェ。
ママ4人と先生(男性)2人でほっこり対話のスタートです!

少人数だから、自分達の過去に照らし合わせながら思いの丈が出てくる出てくる。

テーマは「苦手な人との付き合い方」

皆さん 長く生きてますね~!
こんな苦手な人の言葉が刺さるという話やこのような対応をされたことがあるというご経験。
たくさん たくさん ありました。

なぜ、気を許せる人になら言われてもストンと落ちるのに、苦手な人に言われるとこんなにもショックなのか。

苦手な人と距離を置ければいいけれど、出来ない人はどうしたらいい?

そんなやり取りで出てきた言葉は、気を許せる相手に自分の思いを聞いてもらう(辛い状況をわかってもらう)方法でした。

女性は悩みを人にこぼしやすい。気持ちを楽に出来る一時がある。でも男性はそうではないようで…。

男性だから?何のしがらみがある?
女性と男性では何が違うの?

こんなやり取りが続き、気がつけば長い時間 哲学カフェを楽しんでしまいました。

今日は、その時に参加してくださった小園先生よりご感想をいただきました❤️
素敵な 素敵な 文章です!
先生、また一緒に哲学カフェをしましょう!!  
                      (もこ)

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1/25 ママ哲 第10弾「苦手な人との付き合い方」~報告
 
 
    哲学カフェ(「ママ哲」)にお邪魔しました
 
子育て未経験の身にとって、やや敷居の高かった「ママ哲」。
今回はじめて足を運んでみました。
「苦手な人との付き合い方」という身近なテーマから皆さんの意見交換が始まりました。
職場や学校にとどまらず、親子間、夫婦間でも時に相手とギクシャクすることがあります。女性と男性、上司と部下、教員と学生…立場が異なれば“表現方法”も異なり、そこから生まれる誤解や不快感など、いろいろあることを今さらながら実感。
 
  「苦手な相手から放たれた一言は、仮にそれが的を射た忠告であったとしても胸に刺さる。」
  「辛辣な意見を言われて、無視できる相手なら良いが、置かれた立場によって、そうもいかない場合もある。」
 
さまざまな体験談や意見が出されましたが、では…どうすれば?
 
  「自分の得手不得手を自分自身がわかっていれば、たとえ苦手なことが上手くできずに他人から批判されても、事実は事実として受け入れられ、精神的に滅入らないのでは。」
  「相手の意見から、事実のみを受け入れ、相手の主観はひとまず横に置いておいては。」
 
なるほど…。ある程度の自己肯定は、(一時的にでも)自分をこうした苦しみから開放してくれそうです。そして、自分自身に対してはもちろん、相手とも“(互いの)長所や短所”を認め合うことがやはり大切なようです。こういうトレーニングが幼少期から無意識のうちに行われる環境があればとても理想的なのですが、現実にはなかなかそうもいかないようで…。
お母様方の話によれば、昨今、教育現場でも子供たちを“十把一絡げ”に扱いがちとのこと。そこにはやむを得ない現場のしがらみがあるようです。これでは、学ぶ側一人ひとりの興味につながる授業を展開するのは困難です。くわえて、目先の受験や成績に気を取られ、「考えようとする姿勢」を養う間のない子供たち。ある意味ではネット社会の弊害ともいえる「効率化」や「高速化」の波が、そんな彼らを日々容赦なく襲っています。
“しっかり”読み、“じっくり”考え、小さな発見や理解を経て得られた感動に後押しされて等身大の言葉でアウトプットする行為…。かつて、いずれの子供にも余裕をもって均しく与えられていたであろう、こうした「学ぶ喜び」につながる芽は、現行の教育制度の下ではなかなか育ちにくく、容易に摘み取られてしまいがちのよう…。
また、ネットで容易に知りたいことが検索でき、ツイッターなどで、思いついたことを即発信することに快感を覚えた世代にとって、“じっくり考えたり読んだりする”ことはなかなか辛抱をともなう行為のようです。お母様方のお話を伺いながら、「(自分を含めた)大人たちにもその傾向があるのでは…。」と少し不安になりました。そもそも、こうした世の中で、子供たちはいったいどんな文章に接すればいいのでしょう…。
 
  「新聞を購読していますか」
 
一昔前には、恐らく余り耳にすることのなかったこんな問いも今回はなされましたが、このような問いが立派に成立する今日。ネット上の数多の情報の「多読」ばかりではなく、時には新聞の論説などを「精読」することも、変化の激しい社会の中で、子供たちが自分を支える“軸”を形成するのに少しは有効では…、と皆さんのご意見を伺いながら感じました。
ではでは…、結局、(苦手な人との付き合い方含め)子供をいかに伸ばしてあげれば良いのでしょう…。恐らく育て方に“絶対”という答えはないであろうことを今回「ママ哲」に参加しながら痛感しました。また当然のことながら、子育てはお母様方だけに課せられた役割ではありません。
 
  「子供にとって大人は鑑(かがみ)。社会の大人たちがキチンとした大人でいることが大切なのでは。」
 
そんなご意見に耳を傾けながら、
 
  「たまには意識して、真面目に“大人”をしてみたら…。」
 
と成人してから随分と長い月日が経ってしまった自分につぶやいてみました。
「苦手な人との付き合い方」というテーマから始まった意見の交換は、「男女の(表現方法の)違い」や、「子供の考える力」についても話題が及び…。気が付くと、皆さんのご意見に共感しつつ、程良い心地よさも覚え、自分の中の“何か”が少し氷解しはじめた気がしました。“ママ”ではありませんが、この「ママ哲」は癖になりそうです。
 
また機会があれば参加させていただきたいと思います。どうも有難うございました。
 
小園晃司(帝京大学・総合基礎)