12月18日の哲学カフェ




ご参加くださった福田先生より感想が届きました。
ご覧ください!

福田先生は、数学の先生で、本学では主に学習支援室で、学生の勉学のサポートにご尽力くださっています。
☆----------以下、福田先生より----------
「自分で考えるということはどういうこと?」
「哲学カフェはどんなものなの?」
「皆が話したくなる場ってどんな感じ?」
始めは少々傍観者的に参加したのですが、傍観者ではいられないし、傍観者ではもったいない。
おとなカフェということで集まった子育て世代のお母さん方、いきなり「子どもに大人都合のウソをつきました」から始まり、次々と話が広がっていきました。一見拡散したように見えた話も、底に流れる思いは、子どもひとりひとりをしっかり見て考えた子どもとのかかわり方、子どもとの距離感を確かめつつもこれでいいのかと日々直面する迷い等々。正解がないからこそ、自分で考えたことを語って、客観視して、確かめる場が大切なのですね。
一世代前の自分の子育て時代を振り返ると、いい意味でも悪い意味でも、社会が共有している理想の母親像、子供像があり、子育てはこうすべきと余り疑わずに単純に答えを出していたような気がします。私自身も、この母親像を追いかけていて、カフェのお母さんのようにひとりひとりの子どもを見ていたのだろうかと疑問が沸々と湧いてきました。
 
私が関係している学習支援もまさに子育てと同じ悩みに直面します。授業内容のつまずきだけでなく、モチベーションの問題、学修方法の問題、生活習慣の問題等々が絡んで、ひとりひとりが異なり正解がない。学習支援の場合は、個人情報のこともあり、なかなか情報共有ができないのも悩みです。一番不都合を感じているのは学生自身なのだから、どう支援するかという目線から離れて、いっそのこと学生を含めた哲学カフェを企画するのが良いのかもしれませんね。
 
福田千枝子(帝京大学)