こんにちは!
行ってきました「親子哲学カフェ」
今回もいろいろな気づきがありました。
 
先生より報告書を頂戴しましたので載せますね!
 
 
---10/10 親子哲学カフェ 報告~「幸せってなに?」-----
 
 
続々と子どもたちが入場するのを見て、「わあ、こんなにたくさん来てくれたんだぁ」と嬉しさ混じりのびっくり。
 
たくさんのお子さんを引き連れてきてくださって、ありがとうございます。
開始前から賑やか・華やかなカフェとなりました。
笑いが絶えず、今回もまた、とっても楽しかったです。

入場するなり、お菓子のテーブルに群がる子どもたちの顔を見ながら、お菓子を見つけたときの正直な子どもの顔って、いいなぁ、と思いました。
(お菓子、あっというまになくなりました・・・足りなかったですね)
 
 
というわけで、今回は、大人10人、子ども10人くらい、総勢20人くらいの団円となりました。
まずは、その場の緊張をほぐすために、アイスブレイク。
テーマは、
 
「カレー味のウ〇コと、ウ〇コ味のカレー、どちらを選ぶか」
 
小学生にとっては定番の、いつでも盛り上がるネタ・・・と思いきや、けっこう白い目で見られました・・・(と感じたのは私だけ?)
しかし、このネタを持ち出したのは私ではなく、麗しきお母様のうちの一人です(←責任転換)
 
いろんな意見が出ました。
「やっぱりカレー味がいい」
「私は栄養価を取る(生き延びる方法を考える)」
「ライスだけ食べればいいじゃん!」
「カレー味のウ〇コは、カレーなんじゃない?」←「いや、ウ〇コでしょ」
 
他にもたくさん意見が挙がりました。
(みんな、真面目に答えてくれて、ありがとう・・・お母さま方も、けっこうウ〇コ話、イケますね)。
 
さて、これは、一見、ただの下品な思考ゲームのように思えますが、じつは2つの側面から、哲学的に重要な問題を含んだ深遠な問いです。
 
一つ目。
この問題は、私たちが何かを何かであると認識するときに、そこにはどんな基準があるのか、ということを自問させてくれます。
例えば、私たちが、リンゴを「リンゴ」と認識するのは、どうしてでしょうか?
それは、その物体が「丸い」形をしていて、「赤い」色をしていて、食べると「甘酸っぱい」味がする、といった知覚情報を総合して「リンゴ」と判断しているからです。
では、丸い形をして、赤い形をした、リンゴそっくりの「赤パプリカ」を食べたら、それをリンゴだと思うでしょうか? きっと、ピーマン特有の味がするので、それをリンゴだとは思わないでしょう?
ならば、ためしに最先端の技術を使って化学的処理を施して、赤パプリカの味をリンゴそっくりの甘酸っぱい味に変えることができたとしたら、どうか? そのとき、私たちは、それが赤パプリカだと思う(わかる)でしょうか?
ついでに品種改良して、固さ(手触り)もリンゴに近づけたら、それって「赤パプリカ」? それとも「リンゴ」?
 
あるときは「X」を「カレー」であると認識し、またあるときは「X」を「ウ〇コ」であると認識する。
そのとき、私たちは、何を判断材料としているのか。
カレー味のウ〇コは、はたしてウ〇コなのか。
カレー味のウ〇コは、もはやウ〇コではなく単純にカレーではないのか。
 
一度よく考えてみてほしいのですが、
いま食べている「カレー味のウ〇コ」が、本当は「ウ〇コ」であるということを誰からも教わることなしに、私はそれが「ウ〇コ」であることを、どうやって知りうるのか。
 
さらに言えば、カレーがカレーでありうるのは、なぜなのか。
個々のカレー(あんなカレーや、こんなカレー)に先だって、「カレー」というものの本質が存在するのか。それとも、実際に存在するのは、あんなカレーや、こんなカレーだけであって、「カレー」なる一般概念は、あとから人間が作った「名前」にすぎないのか。
これを大真面目に考えたのが、中世の神学者たちです。彼らは、「目の前にあるウ〇コ味のカレーに先立って、カレーの本質が存在するかどうか」を、「唯名論」と「実念論」という立場に分かれて侃々諤々の議論を交わしました。それが、中世神学における普遍論争と呼ばれるものです。
 
二つ目。
この問題は、そのつど私たちが何を大事にして生きているのか、ということを回答者に端的に突き付けてきます。
自分が何らかの判断を下すときに(意識的にせよ無意識的にせよ)何に価値を置いているか。それが回答に率直に表れます。
例えば、「カレー味のウ〇コ」を選んだ人は、「中身」よりも、「実際に感じられるもの」を大事にしている可能性があります。
あるいは、今この瞬間の快楽(または幸福)に価値を置いているのかもしれません。
逆に、「ウ〇コ味のカレー」を選んだ人は、五感で感じられるもの(表面に表れたもの)よりも、物事の本質(本当はそれが何であるか)を追究して生きている人かもしれません。
あるいは、刹那的な快楽よりも、将来のことも含めて実利主義的な判断をするタイプかもしれません。だからこそ栄養価を考えて(ウ〇コ味を我慢して・・・)カレーという「内実」を重視したのかも?
 
このような、「味」を取るか、「実」を取るか、という選択問題は、哲学史上では、「仮象」と「本質」の対立をめぐる問題として扱われてきました。
仮象というのは、表面に表れたもの(見かけ)のことであり、本質というのは、「本当はそれが何であるか」ということです。
この二つが、一致しているのか、一致していないのか、ズレているとしたら、どの程度、ズレているのか、を考えたのが、カントという18世紀ドイツの哲学者です。
そして、存在するのは「現象」のみであって、感覚に上らない対象は存在しない、という立場が「現象主義」と呼ばれます。
現象主義の立場によれば、カレー味のウ〇コは、カレーということになります。
 
というわけで、このアイスブレイクは、裏にある隠れた哲学的テーマを軽やかな話題で包んだ見事な思考ゲームであると言えます。
 
続く。
(ウ〇コの話しかしてませんね・・・)
 
 
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