親子で哲学カフェ
~子どもと遊びを哲学する~

下野ニュースカフェにて 10/11

今回も江口先生にかじとりをしていただきつつ、親子で哲学をしてきました❤


初の試みの子どもと一緒の哲学カフェ
内心うまく話が運べるか心配もありましたが、先生いはく。

「いやー、いい哲学カフェになりましたね~。子どもたちも思いを伝えてくれましたね~。」

私ども母は、??と思うくらい、あらたまって発言しなくてもオッケー、恥ずかしさからおちゃらけてしまってもオッケー、全てオッケーなのだということを知りました。

江口先生の懐の広さなのか、そもそも、かしこまらないって大切なのか、考えるきっかけをもらいましたニコニコ

カフェは、最初は哲学の対話って!?
というところから始まります。対話の仕方の確認です。

まず、「みんなに嬉しくなることは何ですか?」という問いに

子ども達からは、
「でもさ、宿題が嫌なんだよね。お手伝いも。」と意見がでて

子どもの義務と大人の義務の話に変わりました。

「したくないことをするって何か」
「本当に必要なことなのか」
「それをしないとどうなるのか」
「親だってサボりたい」
「こんな風にとらえて、やってるよ」
なんて。意見が飛び交います。

ほしいものがもらえると幸せという意見もあり、
「ほしいものって何」や「収集するのが好き」という意見からは「わかる」という意見がある一方で、大人から「片付けはどうするの」といった意見も出ました。

どちらにおいてもたしかな理由がありました。
言えることは、互いにちゃんとした言い分があり、今までお互いに説明不足であったことでした。

お母さんは子どものやることを否定したい訳じゃないけど、家のなかがぐちゃぐちゃになるのが嫌なのでした。
子どもは、(管理ができないため)一方的にすてられたり制限されるのが嫌なのでした。

「大人は約束をやぶる」といった子どもの言い分もそう。大人が思っていた約束の決め事と子どもが理解した決め事は、全く別のものでした。

大人は過去未来も繋げて物事を考えるから、そこをおのずと含んでしまうけれど、子どもは今を生きているから、今できたのならそれで約束事をこなしたと思えていました。



あぁ、そうか、

対話が必要なんだな。



普段の会話は心の対話ってとこまでいっていなかったんだ…ってことに気がつきました。

と、もこはそんな風に感じた哲学カフェでした。
他の方からも感想をいただいているので載せますね😉


(親)
子供たちの心の中には確実に何かが残ったのだなぁと感じます。
意見が言えた子も、発言できなかった子も、それぞれ色々感じていたのでしょうね。
自分の親以外の大人がどんな風に考えているかとか、
他の子はこんなふうに自分の意見を言葉にするのかとか、
そんなことを感じてくれているのかなぁ
とも思うけれど、それすらやっぱり大人の感覚でしかないのかもしれないね。

哲学カフェでは毎回思うけれど、もっとたくさん話を聞きたかったなぁと思います。

対話ってやっぱりたのしいね。

(子ども)
・色んな意見があることがわかってよかった。
・全く違う意見ってあるんだな。

・自分達がふつう言わないでいることを、みんなで出し合うことが今まではなかった。そういう時間を作れてよかった。
・自分達が本当に伝えたいことをママ達に伝えられてよかった。

・哲学を知らなかったけれど、何をどんな順序で話すといいかを先生に教えてもらって、今日、少しできたような気がする。普段でもやってみようと思う。
・「あすなろ」でそんな時間をもっとつくってほしい。


最後の子どもの言葉にはびっくりしました。
前回大人が感じた様に、哲学で対話することが面白く、心地いいのだなと思いました。

否定されないことがいいのか、思いを交換しあえることがいいのか、私にも心地いい理由は分からないけれど、ただ言えることは

ちゃんと分かるのって
ちゃんと聞くこと。

一番基本的なことなのだけれど、それが一番大事なのではないかって思いました❤


あいかわず、夢中になってしまい、とった写真は最初だけ…💦

また、一緒に参加した司書の方が選書してくださいました。
読んでみようと思います。