大人6名、子ども3名で行った今回のてつがくカフェ。

いや~、身近なテーマだけに、話の中身も深くなったり、浅くなったり…。話題も流動的でジェットコースターに乗ってるようなスピード感でした。

では、そんな速さ溢れる今回の様子をお見せします。(パチパチ)

 

あ、初めての方がいらっしゃったので、最初に対話のルールをちらっとご説明。



全体を通して、主軸になったワードは「枠」「話し合い」でした。

そもそも、「男女偏平等」とい主題でスタートしましたが、対話の中ででてくるのは「⁉平等」なものでした。
例えば、「女性枠採用」「レディースデー」「レディースセット」
レディースデーは企業による経営戦略での設置であり、デザート&野菜重視のセットメニューがレディースセットであることも分かっています。ここは皆さん同意の様子…。

でも、違和感を持った方が2名!
『圧倒的に「女性」を想像するワードが頭についているって変じゃないですか⁉』

サブテーマ1
「「女性」というイメージフレームを企業側も作り上げている?」


Aさん「なぜ、圧倒的に日本は、「女性」というワードを使用するんでしょうか。」
Bさん(海外在住経験者)
   「日本は短い言葉でキャッチーに伝えることを重視してて、その短さの中に

   「女性」というワードがあると想像しやすいんだと思う。」
Cさん「私は男ですが、「女性」イメージのあるもの、例えば、ヨガとかをしたい

   と思っても、スクールなどに行くのが難しいです。

   女性限定とか女性を強く意識されているものは敬遠されているようで、

   本当に難しい。」
Bさん「例えば、アメリカでは男女でカルチャーの区別は少ないように思います。

   そもそも外(公園)でヨガなんてやりますし。老若男女来てましたよ(笑)」

大学でマーケティングを学んでいる学生も「女性」というワードは上位に来ると言っていました。ターゲットとするときに、カテゴライズしやすいのですね。
このような企業が行う経営戦略上の合理的な差別化を「区別」といいますが、産休や生理休暇も区別に当てはまる…。
なるほど。

「女性」というワードは社会と個人の両側面でみると面白いですね!

 

社会では制度的に“区別”して性差の一方的負担を社会で受け取る一方で、個人レベルでは「枠」を無意識で意識した結果バイアスがかかり、動きの幅を狭めている部分があったなんて!

しかも、これはアジア独特、しかも、稲作をしている地域独特なのだそうです。大学生の話によると、小麦は収穫時期が年に何度かあるが、稲作は1度しかないことが多い。収穫時に仲間から外されてしまうと食いっぱぐれになることから、枠のなかで生きていこうとする心理が生まれやすいのだそうです。

今回は話がどんどん移り変わっていきます・・・。

つづいて
サブテーマ2
「男性の業務時間が減れば、労働者の増加が必然的でるため、女性の雇用枠が増えるのでは?」


これは「ただ単に女性枠を増やすというものが女性にとって有利とはならないことが多いから」という理由だそうです。家事や育児の分担をどこまでやれるのか、どこまで気づけるパートナーなのか。そもそも子どもがいるとオフ時間が存在しないが、(自分が男性なら仕事をフルスロットルで行った後、自宅でそこまでできるのか自信がないが)大丈夫なのか、といったことからの思いとのこと。

  •  男性の「手伝う」というNGワード(これは同居の親に関しても感じるのだそう)
  •  「説明してくれなくちゃ分からない」という緊急時の指示の際の家事育児における共通言語の少なさ
  •  気づいた分だけ(気づいた方が)家事育児の負担が増えるという「見えない家事」や「終わりのない家事育児」(これは会社でも言えますね、会社で褒められる社員は結果を出した社員。でも、そのためにフォローやサポートした、チーム貢献社員への称賛や査定項目はあるのでしょうか。学校でもそう、気づいたり丁寧に仕事をしてくれたりした生徒は褒められもするけれど、そういった役を押し付けられる(本人にはそう感じるらしいです)感覚もあって辛いとのこと。(以前のてつがくカフェより))


そもそも見えない家事があるくらいなので、全てを箇条書きにするとかなり長編小説並みになっちゃう。「それに気づいて」とパートナーに求めるのも無理があるのでは?という意見もありました。

逆に「育児を一方に任せる代わりに、口を出さないでほしい」というものも。

これは、会社でいうところの指示役(上司に相当)を明確にすることと似ているかもしれません。相手方(部下に相当)が言った一言が、提案ではなく「指示」となってしまうと、関係性が歪みますものね。パワーバランスってやつですかね。。。

サブテーマ3「望む父親って?」

これは、独身の男性からの言葉でした。正直に知りたいということで話題に上りました。

  • 子どもA「一緒に遊んでくれる」
  • 子どもB「一緒にバカやってくれる」
  • 子どもC「経済力大事。背中見せてほしい」
  • 子どもD「生き方がカッコいい」

なかなかハードルの高い像ですねぇ。
母親側にも聞きたいとのことで。

  • 母A「母親も自分の時間が持ちたい→たまに家事育児を数時間代わって」
  • 母B「継続的な家事分担」
  •  母C「できないことは口を挟まないで」

これもまた、子どものパパ像と合わせて仕事と両立となると、結構大変でもあります。
やっぱり、在宅時間が増えて、家庭に向き合える時間があるといいのかな~なんて思えちゃいますね。

サブテーマ4「「話し合い」が大事な気がするけど、どうすることがいいのか」

これは結果として、具体的に聞いてしまったことで掘り下げるタイミングを逃してしまいました(汗)。でも、各家庭での様々な「話し合い」を聞いていると、各々の家庭で違いがあることに気づきましたよ。今回は、“おかわり時間”として、その辺を取り上げてみたいと思います。

「「話し合い」ってなにか」

辞書には話し合いとは
“複数の人が互いの意見や考えを交換し、共通の解決策を見つけるために行うコミュニケーションの方法”
とあります。

おそらく意見や考えの「交換」ができているか、共通の解決策を見つけようとしているか、そのなかにしっかり「聴く」という作業と適切な「問い」がなされているか、というところが「話し合い」には必要なツールであるということだろうと思います。もし、各家庭での話し合いに満足いかない箇所があり、不満や不明点として挙げているとするなら、そこは哲学的には美味しい箇所!
言葉を“詰める”箇所です。

例えば、

  • 「話し合い」ができたと思えた時と、そうは思えなかった時との差はどこにあるのか。
  •  自分の想像の通りに導かれなくても満足する「話し合い」はあるか。
  • それはどういったものだったか。
  • 「どこまで出来たら話し合いをした」という「話し合い」の定義が個々に異なるが、実際に話し合う場で確認がなされているか。
  • 普段の話し合いの中で、そのあたりを見いだせていたら問題ないが、もし、どちらかが我慢をしていたとしたら、どうして我慢する状況が起きてしまうのか。
  •  受け取り方として「納得する・受け入れる・受け取る・理解する・把握する」があるが、個人的にその言葉の違いはあるか。どれに対しては「納得」し、どれに対しては「把握」となるのか。
  • その時の自分の感情や対応の変化があるのか。


などなど。今回は時間が足りませんでしたが、こういった視点で振り返ると何かが見えるはず!
ご自身で自分に「問い」をしてあげても、いいかなと思っています。

自分に問いをすると…
「自分がどんな人であるか」を少しずつ知ることができます。

それはバームクーヘンを一層一層剝がすように、深く深く掘り下げていくのと似ています。その考えに至った理由はどこなのか。何というワードで説明できるか。似たワードとの違いは?などが掘り進めるヒントになるかもしれません。


自分を知る(自己理解が進む)と客観視できて、楽になるとおっしゃる人が多いです。きっとそれは、不明点が減った安心感と、余計な感情を手放す解放感なのかもしれません。

さて、次回は
10月を予定。
「少数派が感じる違和感~あなたは何の少数派?~」
もしくは
「なんで、しごとしない人がいるの?」(小学生より ※しごととは手伝いとか掃除とか、みんなでやったほうがいいと言われているもののことを指します。)
 

「自由ってどこまで」

 

満を持して「自由」をテーマに挙げてみました。

本日の参加者は大人6名、子ども3名+ファシリテーターで10名。

男性3,女性6、年齢層もまんべんなく年代ごとにいるというバランスのよい面子での有意義な対話時間でした。

 

それでは、

流れを振り返りつつ、いってみましょう!

 

まず、「自由」って?

ということで、自由を真ん中にマッピングをみんなでしてみました。

・束縛がない

・拘束がない(学生だから“校則”がないかも)

・好きなことができる

・挑戦できる

小学生「そくばくかんって?」

高校生「窮屈じゃない、ってこと。押さえつけられるとか…」

ファ「しつこい感じがないこと?」

高校生「そうそう!」

(てつがくカフェでは、一番年齢の下の子が分かる言葉で話すことがルールになっています。一番下の子が分からないって言ったら、説明をしなくちゃいけません(‘ω’))

 

Aさん「私は、逆に“責任”って言葉が伴うって気がしちゃいます」

ファ「確かに!それもありますね。今お話しいただいたことは心理的距離の問題と物理的距離の問題の2つがある気がします。

ちょっと、ここで実験をしましょう。」

 

(ファシリテーター、おもむろにテープを取り出す。2人組になってもらい、顔の位置までテープの端を引き上げてピーンと張ってもらい、片方に徐々に近づいて行ってもらう。)

 

どんどん距離が縮まっても嫌な感じがしない人がいる一方で、距離が保てないと安心できない人もいる。

ファ「テープを持つ相手によって距離の差が生まれたのはなんでだろう」

 

Bさん(女)「同性や子どもだと距離は近いけれど、異性だと距離が遠くなりました」

ファ「それって何が理由かなって思い当たるところがありますか?」

Bさん(女)「私の方の問題なんです。同性だと、この距離でも平気じゃないかって思えるんですが、異性だと失礼な気がして…」

 

 

男性側にも聞いてみましたが、同意見でした。なんだか悪い気がして。

自分が嫌だと言うより遠慮の気持ちが強いのだそう。

今回のメンバーでは多くの方も同意見みたい。

少数意見では目線や間合いっていう人もいましたね~。

 

さて、物理的距離が分かったところで、今度は心理的距離に焦点を当てていきましたよ。

 

私が特に気になったのは「誰にも影響されてない感じ」という意見の

“影響”というもの。

 

本人に伺ったら「何でも誰かがいれば、その人の感情って周りに広がっていくものじゃないですか。それが自分に届かない感じです!」とのこと。言葉や態度でなくても波紋のように周りに影響が広がる感覚なんですね。(なるほど)

 

「誰にも邪魔されない感覚」というのが「自分の悩みも吹っ飛んでいく感覚であったり、付随する不自由より、今、選択しているものが勝る感覚」だというのも興味深かったです。

「家にいたい派」と「外に出たい派」でどっちが自由かで熱いトークも繰り広げられました。

 

小学生の「お母さんが買い物に行っていないとき」というのもありました。

これがこの後大きく展開していきます。

 

高校生「私は、だれも家にいない感覚は返って怖い。自由とは真逆ななかにいる気がする」

中学生「分かる!私も同意見」

ファ「誰もいない感覚と誰かがいる感覚は、何が違うんだろう?」

 

Eさん「…“安心”…じゃないですかね」

先ほど言っていた中高生もそれは分かる!と。

つまり、【安心感】は自由の大きな土台になる?そう言ってみたところ、別の意見も出ました。

 

Dさん(女)「私は、ドキドキワクワクの方が大きくて、そこに安心感はない感じです。」

Eさん(男)「私も同意見です。目の前に別の世界が広がっていく感覚の方が自由という感じがします。」

 

それはもしかしたら、【静】と【動】が自由の中にあるからかもしれません。人が自由だと考える理由の中には心が穏やかでゆったり(まったり)できることもありますから、ゆったりできる条件のなかに安心感があるのでしょう。一方で、己の好奇心に従って動けることも自由を感じるというのもある。外部によって満たされる、内部より満ちていく、その両方が自由であるのかも。つまり、個々が欲する自由とは今望んでいるものがどちらかに寄っただけ…ということかもしれませんね。

 

 

友達関係で時々起こる不自由さは年齢関係ないかもと女性陣が頷く一方で、男性陣は首をかしげる

 

逆に、不自由さを感じるという中に、

その差の違いを認識してもらえず強い誘いをしてくる友人に対して、不満を感じる時があると答えた学生もいました。自分の望む価値基準が軽視されたことに強いストレスを受けたようです。(世間でいう「ダル絡み」がこれかも。なかなか的を射た良い表現ですね。)

 

では、【何が荒らされないことが、自分にとっての自由になるのか】でしょう。全員で明文化してみることにしました。

・気持ち

・平穏

・自分の意思(決定権)

・(もっと弱いものでいい=)決定権

・時間

 

言葉に差はあれど、どれもがアイデンティティー(他ならぬ“自分”であるという感覚)が保たてる条件であることには変わりなく、個人的には一言で言うなら「アイデンティティーが保てることが自由であるのかもしれない」と感じました。

 

しかし、ここで興味深いやりとりもでてきました。

女性の集団となりやすい社会の中に、なんとなくグループや指定席などが生まれるというのです。

Dさん(女)「名前のつかない【枠】【形】【場所】がおのずと生まれていて、それを当然のものとして主張する人がいます。これも安心感の範囲かしら。であれば、その女性は何でもって安心ととらえたんだろう。」

 

男性陣に聞いてみましたが、男性たちに事例は見当たらないとのこと。年齢もバランスよく離れている3人なので、時代が…というわけではないかも。

 

大変深いテーマが見えてきました。

時間になったので、今日はこの辺でおしまいにしましょう、となりましたがもちろん話は尽きず…。次回は「女性脳、男性脳による思考の差」で今回の続きも踏まえた対話ができたらいいなと思っています。

 

3月30日のこどもがまんなかの対話イベント(主催:ごりらのらっぱプロジェクト(当団体のてつがくカフェ部門が共同開催者))~へいわってなんだろう~の対話報告

 

合計65名
(内訳:参加者51名 グループファシリテーター6名 スタッフ7名 清水先生)
(地理的内訳:宇都宮市在住40名 市外在住1名)
(参加申込者の年齢内訳)※参加者キャンセル2組あり。
大人    22名
小学生1~3年    7名
小学生4~6年    13名
中学生    9名
高校・大学    3名
合計    54名


では、どんな内容だったのか、話を進めてみましょう!

 

最初に平和のイメージを書いてもらった後、清水先生からニュースで起きている戦争の話、かつての日本の話をしてもらったよ。

 

戦争っていうのは、ある国家の軍隊と別の国家の軍隊が武器をつかってあらそうことよ。武力による争いがある様子をニュースで見ていると思うけれど、「日本では起きない」ことではないの。かつての日本は国民に戦争のいいイメージを与えて、どんどん戦争しようってしていた時期があったの。戦争によってたくさんの人が死ぬけれど、多くは女性や子どもたち。家を失って今までのような生活ができなくなった人も多くいたの。

【先生からの問いかけ】

「子どものころ、ニュースで戦争の話があったとき、どうして戦争が続いているのか、どうしたら戦争がなくせるのか、ずっと気になっていました。だから、今日はみんなと話がしたいって思っています。みなさんの気持ちや考えを聞かせてください。」

 

各グループでディスカッション開始

 

おとながいっぱいチーム

A:難しいなぁ

B:他者を許せるかどうかの幅なんじゃないか?

A:「正しい」と「正しい」
 「信じる」と「信じる」

 「守るもの」と「守るもの」がぶつかった結果ともいえるよね

C:それに、お金が関わる、国が、関わる…

 

D:そもそも正義はそれぞれで価値観や尺度(国としてぼんやりと存在するものさし)の違いによるものではないか

E:以前子どもが言っていたんだけど、世界が一つだったら楽なのかなぁ

A:でも、人のエゴは許せない部分はある

 

「価値観」「ものさし」「エゴ」「許す」がキーワードになったおとながいっぱいチーム。

 

かたや、その大人に連れてこられた子どもチーム

A:なんかさ、平等っていうのが分からない

 だって、平等じゃないじゃん。

B:平和ってさ、優劣あると壊れやすいじゃん

C:兄弟でもけんかするし…

 学校とかでも力の強さとかあるし…仲間外れとか…

 

D:じゃあ、戦闘じゃない戦い方でどんなのだったらいいかなって思う?

B:フライパンでたたく!

D:お、痛そう!

C:んじゃ、シンバルで顔をたたく!

D:それも痛いって(笑)

A:先生に諭してもらう

(すでに数名は学校へとフィールドが移っている模様)

B:自分を守るのに隠れるのも必要じゃん

C:安全なところ…やっぱ家?

B:あとさ、連携ってマジ大事じゃん

 周りの能力もつかって できること探してさ

C:個人情報とかも怖いね。

B:相手のスマホを強奪するしかないな(ΦωΦ)ふふふ・・・・

 

さて、結構平和について意見がある子どもチーム

A:戦争は起きるもの?

B:土地広げたいからじゃん

C:資源ほしーし

D:国力つけたいとか

E:いやいや、そもそも戦争って所詮けんかじゃない?

A:お?なんで?

E:だってさ、要は「自己満足」じゃん。「自分の考えが中心」ってこと。

A:じゃあ、けんかと同じというなら、私たちはよくケンカをするよね。

 兄弟だって、夫婦だって、友達同士でも よくあるでしょ?

全員:うんうん

A:でも、私たちは仲直りできるよ。

 何が違うの?

 

C:話し合いができないと思う

 だって平等さがないじゃん、対等って感じないよ。

D:分かる。力差がちょっとでもあると、立場が弱くて負けちゃう。

 親とか先生とか立場出してくんじゃん。

 国同士も同じなんじゃないの?

B:私は本当に「対等」なら話し合いで物事はうまく進んでいくと思う

E:あ、ゲームの世界では協力できる感覚ある!

 一方的に動くと「クソっ」って思っちゃうけど(笑)

F:そもそもさ、相手がどう思ってるかがカギなんじゃん?

 自分が友好的(対等である)って思ってても、相手が力任せでいこうとかしてたら無理。

C:私は、対等の中にもちょっとの差があると、やっぱりうまくいかなくなると思う

 

E:どんなにいい関係でもけんかしてるから、争い自体は起こるもの ともいえる気がする

 

みんなの意見を聞いて、先生がまた話をしてくれた。

学術的に表現として、「消極的平和」(いじめない・暴力しない)と「積極的平和」(差別がないこと・強い人が弱い人を助ける・困っている人を皆で支える)があるの。(この話の時に大人に連れてこられた(低学年)の子が一斉に耳を傾けた。それは、彼らが両者の違いを分かった瞬間だった!)


国連が作られた意味(世界大戦の反省をして、話し合いで解決する仕組み)や、国境なき医師団のように戦地へ行って医療をしている人がいること、身近な例として、大学生でもボランティアで災害での補給手伝い、被災者の声を拾う活動などをしている人もいるわ。
 

改めて、平和って何か、平和であるために何をしていったらいいのかを3~5人の人と話すというミッションを課して、皆さんが振り返りを行いました。

 

「改めて平和ってなにか」に対して
・私らしく生きていけること
・今こうして日常があること。日々の暮らしの尊さ。
・話し合いで解決できること など

「「平和」をつくるためになにをしたらいいか」に対して
・積極的に、平和につながることをする
・人の力で解決できる気がしたから、改めて、武力以外で解決できる道を探る社会をつくりたいと思った
・自分にもできることがありそうって思った。(「例えば?」「ちゃんと伝えるとか。手助けするとか。」) など

 

私(主催者)からは

考えがいろいろあろよね。もやもやした人も多いと思う。そりゃそうだよ、大人がずーっと考えてるのに、まだ策が出ない問題なんだもん。でもね、是非考えて続けてほしいの。何かがつかめるかもしれない、きっかけが見つかるかもしれない、そうでなくても、(ほかの人の考えを聞きながら)自分の考えがもっとわかるかもしれない
、本当は自分が何に希望を思っているのか、何が引っ掛かっているのかとかにも気づけるかもしれない。

今日やったことは、他の人や自分自身とのおしゃべりなの。そうやって自分のことをどんどん知ってもらえたら、嬉しいな。

 

最後に、皆さんの感想を載せます!

こんな思いを持ち帰ってもらえたよ~


・参加者の話に出ていた「対等でいよう」「ちゃんと話し合おう」「決めつけることは誤解を生むからよくない」「力を見せつけて抑え込んじゃダメ」というのは、個人の争いも減らすことができるけれど、それだけでなく、実感として、その積み重ねが戦争をしないような取り組みにもつながっていけるような希望を持ちました。(多数)
・日常を慈しみ、自分や周囲を大切にすることが平和へとつながっていく気がする(数名)
・家族のおしゃべりでは平和や戦争を考えることは難しい、って思ってあまり話題にしてこなかったけれど、日常とつながっていけることだと知り、もっと身近で気楽にできることなのだとかりました。(数名の大人)

その他1名ずつ
・戦争は今の時代 起こりはするもの。つまり、人が起こしたものなのだと分かった。
・戦争が偶然起きたわけではない事実に気づけた。
・戦争や平和について深く知り、考えることができてよかった。戦争を防ぐためにもっと学び続けたいと思った。
・戦争をしないための工夫を考えたのはたのしかった。
 

(ディスカッションへの感想)
・たくさんの意見が聞けて良かった。
・もっと色んな意見を聞きたい気持ちになった。
・色々な考えをもっと知りたいと思った。
・自分の気持ちが言えた。
 

 

以上です!