こんにちは、

土井です。

 

今年も8月6日がやってきました。

世界で初めて原爆が投下された日です。

 

私はこれまでに何回広島の原爆慰霊碑の前に立ったか分かりません。

慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。

 

この「過ち」という言葉について

これまでいろんな議論が交わされてきました。

 

いったい誰が、どんな過ちを犯したのか?

何も書かれていないからです。

 

でも私は何も書かれていないからこそ

その前に立つといつも自らに問いかけてしまうのです。

 

そんなある日、

原爆ドームを見上げ平和公園をひと回りして

慰霊碑の前に立ったとき

私の脳裏をかすめた思いから出来上がったのが

次の詩です・

 

原爆ドーム

 

ガラスのない窓

それは忘れてはならない過去と現在を往来するために

鳥達が考え出した秘密の通路なのです

その向こうには

ちょっと目を離すと毀れてしまいそうな

朽ちたコンクリートの柱と塀があり

焼け爛れたレンガの壁には

いまも無数の放射線が突き刺さっています

眼を上げると

これらの単純な素材によって構成される廃墟の上で

無数の棘を持った指が

恰も祈るように組み合わされているのです

「美しいものはその死の姿によって最も美しい」

という哲学者の言葉そのまま

過去の追憶の中に新しい美を獲得して

原爆ドームは立っていました

それはただ見られるためにだけに存在している

巨大なモニュメントにすぎないのですが

もしこのドームが破壊されなかったならば

私たちはこのドームの美しさを

発見することはできなかったでしょう

失ってみて初めて知ったその美しさ

滅びることによって初めて知った愛しきもの達よ

父よ 母よ 兄弟よ

夫よ 妻よ 子供達よ

このドームの瓦礫と共に命を失った人々を

私はどれほど愛していただろうか

峠三吉は言いました

「ちちをかえせ ははをかえせ

 としよりをかえせ こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」

だが

このドームの前に立つとき

私はただ私の愛の小ささに恥じ入るばかりなのです」

            ( 詩集「リトル・ボーイ」から)

 

この詩を作りながら

私にとっての「過ち」の意味は

人々の愛が小さすぎたために戦争を止めることができなかった

という思いでした。

 

 

アメリカの良心はどこに?

 

アメリカは

戦争をこれ以上長引かせないために

原爆は必要だったと主張しています。

 

では戦争を早く終わらせるためには

どんな手段を使っても許されるのでしょうか?

武器を持たない一般人を大量に虐殺するこが

許されるのでしょうか?

 

そこにはまた

アメリカが正義であって日本が悪である

という価値判断があるからではないだろうか?

 

戦争は勝ったほうが善で負けたほうが悪である

ということはできません。

 

善悪の判断は第三者によって裁かれるべきです。

 

そうでなければこれまでに人類が築いてきた

「戦争犯罪」という国際法に照らしたルールが

意味をもたなくなるからです。

 

もしアメリカの理屈が正当化されるなら

核保有国は今後もその理屈によって核兵器を使用するでしょう。

 

どんな理屈を付けようと核兵器の使用は戦争犯罪である、

なぜならそれは無差別攻撃だからです。

 

戦争はそれによって利益を得たいと思う人たち以外は

誰もが起こしたくないと思っています。

 

それにもかかわらず何千年も戦争を繰り消してきたのは

人類が未熟だからにほかなりません。

 

してはいけないと分っていてもしてしまうのが人間です。

アルコールやギャンブルへの依存は言うまでもなく

 

感情的になると我を忘れて人を罵倒したり暴力をふるったり

約束を破ってしまう

 

戦争も同じで二度と戦争は起こすまいと誓い

憲法に規定してもそれを破ってしまう

それは人間がいまだ未熟な存在だからです。

 

だからせめて戦争の時にしてはならないこと

民間人や捕虜を虐殺しないように

「戦争犯罪」というルールを決めたのは人類の英知です。

 

それを守ることによって人類は進歩できるのです。

 

 

 

歴史は修正されてこそ真実に近づく

 

戦後アメリカが世界をけん引してきたことは確かです。

パックスアメリカーナ(アメリカのもとでの平和)が

世界の平和と安定に寄与してきたことも確かです。

 

にもかかわらずアメリカが十分な信頼を

世界から勝ち取ることができないのは

アメリカ自身が自らのエゴに気が付ていないからです。

 

原爆投下が戦争犯罪であることは明らかであり

アメリカの「過ち」であることは明らかです。

 

それを素直に認めることこそがアメリカの良心であり、

アメリカが世界から信頼されるための必要条件だと思います。

 

「過ち」を認めるためには勇気がいりますが

アメリカがその勇気を発揮する時が一刻も早く来る時を

私は切に願っています。

 

このように歴史に対する評価は

修正されてこそ真実に近づくのです。

 

ところが、アメリカ人の考え方の主流には

歴史修正主義を排除するという思想があります。

 

考古学において新しい発見がなされると

今までの学説が覆ることがよくあります。

 

歴史に対する評価も真実が明らかになって

評価が変わることは当たり前のことです。

 

それを変えたくないというのは政治的な判断であって

イデオロギーであると言っていいでしょう。

 

このイデオロギーが今も世界に対立と争いを生み出しているのです。

 

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