- 遺体―震災、津波の果てに/新潮社
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ノンフィクション作家の石井光太さんの作品。
あの3.11の後、現地に飛んだ石井さんは、岩手県釜石市で取材を開始。
次々と運ばれる遺体に、現地の人々は、家族や親戚、近所、知り合い、また同じ地域に住んでいた方の遺体とどう向き合ったのか。
その状況を、一つの遺体安置所に焦点を絞り、取材。
遺体を運ぶ市職員や次々に運び込まれる遺体の歯型を調べる歯科医とその助手、助けを求めて声を上げている方が流されていくのを見ているしかなかった消防団員、火葬か土葬か選択を迫られる市長、3千の棺を用意を頼まれる葬儀屋、魚に食べられている遺体を収容する海上保安庁の職員、遺体安置所で読経するお寺の住職、床に敷き詰められた遺体に声をかける元葬儀屋の方など・・・
これまでこの作品を何回か紹介してきた。
遺体―震災、津波の果てに
ここでは、この作品の概要と、石井さんが取材直後にブログでアップされた、「津波のにおい」がメイン。
戦場のにおいは、焦げ臭さと火薬臭が混ぜ合わさったものだ。
爆弾は家々を焼き尽くすし、銃は火薬をつかうので銃撃戦になるとそのにおいがたちこめる。
一方、津波のにおいは異なる。
津波は、潮と油のにおいである。
大量の海水や魚介類の死骸、そして車や民家から流れた油がそれらに混ざって重々しいにおいを漂わせる。
indestructibility of affection~愛情の破壊し得ないこと~
では、作品中に書かれた、亡くなった乳幼児の父親が石井さんにメール。
「我が子ではないか?」と石井さんとやり取りをされて、この父親、小野寺さんのお子さんと判明。
石井さんの提案で、仮名だった<相太君>から実名の「雄飛君」に書き直された事実と、このブログを読んだ小野寺さんからブログにコメントがあったのも後日談としてあった。
「遺体―震災、津波の果てに」が映画化
そして、この作品が映画化され、今年の2月に公開されることを紹介した。
こうして紹介しておきながら、結局は半年以上観るのを躊躇い、ようやくDVD化されたのだけれど、何となく素通りしてきて、ようやく観たのだった。
映画自体は、テレビで何度となく繰り返され、多くの人のトラウマになっていると思われる津波の映像はなく、遺体安置所となった学校の体育館がメイン。
しかし、その映像がリアルで、また役者の方も泥まみれ、ヘドロまみれ?になって体当たりで演技されており、石井さんの「津波のにおい」が漂ってきそうなほどだった。
映画なので、主人公の存在がなくてはならないのだが、それを元葬儀屋で釜石市の民生委員だった千葉さん(映画の中では西田敏行さんが演じ、名前は相葉さん)に焦点を当てた。
千葉さんは、東日本大震災の発生直後から遺体安置所でボランティアとして、遺体の身元確認の仕事をしていた。安置所で一人一人に優しく語りかける千葉さんに多く方が心を動かされた。
その千葉さんと、西田敏行さんの交流が次の動画。
西田さんが千葉さんに初めてお会いした時に、
「何となく面差しが似ていませんか?」
と話すのだが、確かにお二人の雰囲気がそっくり。
映画鑑賞後、この動画を見ると映画の中の西田さん演じる相葉さんと、モデルとなった千葉さんが重なって見えた。
是非、DVD等で映画を観た後に、この動画を観て頂きたい。
基本的に映画の展開は石井さんの作品に忠実に展開していく。
はっきりいって映画にありがちな劇的な展開など一切ない。
しかし、こうした事が実際にあったこと、そして「遺体」を読んでいて頭の中で薄らと描いていたものが、より視覚化、現実化されることによって新たに自分の心に植えつけられていく感情の動きに翻弄されながら観ていった。
ネットでの情報や、以下の動画(監督・君塚良一さんと作者の石井光太さんの対談)を観ると
台本はあるのだが、演技者の撮影時、その場その場で沸き起こる感情や想い、言葉、動きをそのまま撮影していったようだ。
故に演技というより、もし仮にあの場にいたら自分はどうするかという、その演技者の持つ素(す)が出ている。
演技者もしかり、そしてスタッフもこの「遺体」に向き合いご苦労をされた。
それは、石井さんのブログにも記されていた。
映画『遺体』について思うこと より転載
今でも覚えている光景があります。
映画の撮影現場を訪れた時、遺体安置所のセットが作られている体育館の入り口に、ご焼香できるスペースが設けられていたのです。
監督、俳優、スタッフ、みなさん一人ひとりがセットであるにもかかわらず、しっかりと手を合わせてから中に入り、映画の撮影を進めていたのです。
僕はそれを見た時、みなさんの良心を感じ、思わず心の中で「ありがとうございます」と言ったほどでした。
スタッフの方々がつくった焼香所
映画が完成した後、西田敏行さんとお話しする機会が何度かありました。
西田さんは実際に撮影に入る前に、主人公のモデルとなった千葉さんに会っています。
そして、映画の撮影の時を振り返ってこう言っています。
「あの映画は特別なんですよ。演技じゃないんです。あの場にいたら演技なんてできないんです。西田敏行という一人の人間として、遺体安置所で何ができるかを考えて自然に出たものなんです。安置所に入るときに靴を脱ぐシーンだって、シナリオにはなかったですけど、自分なら決して土足であがれないと思って脱いだんです」
他にも酒井若菜さんなど出演された方々に対談などで会ってお話しを聞きましたが、同じようなことを語っていました。
演じるのではなく、自分だったらどう遺体や遺族と向き合うかと考えて動く。そうした思いが良心に満ちた映画をつくったのだと思っています。
最後に、映画のモデルとなった実際に安置所で働いていた人々が映画を見て「こういう映画を作ってくれてありがとう」とおっしゃってくれたことが、何より安心しました。
この映画が、あの日被災地にいなかった人々に「何か」を伝えられるものになったのだとしたら、原作のルポルタージュを書き、映画化に微力ながら協力させていただいた僕としては、一つ役割を果たせたのかなと思います。
実際の遺体安置所「旧二中」
(転載おわり)
君塚監督のインタビューでは、
カメラマンにしても撮っているのはお人形だけど、ご遺体にカメラを向けるという行為は全部自分に問いかけられるわけです。表現者としてこれが正しいのか、これを映してどうなるのか、みんな悩んでいたし、美術スタッフも泣きながらご遺体を作っていました。だけど作ることが映画人としての供養なんだ、作って記録に残すのも映画の役目なんだと、映画人として作らなきゃいけないっていう思いで、キャストもスタッフも本当につらい思いをしながら頑張ってやってくれました。
(転載おわり)
こうした演技者、スタッフの魂がこもった作品、
- 遺体 明日への十日間 [DVD]/ポニーキャニオン
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観られない方もいるかもしれない。
でも、やはり僕らは多かれ少なかれ、あの日を背負って生きている。
あの日、あの時、あの後、何があったのか。
知っておいても良いのかもしれない。
(おまけ)
作家・石井光太ら、「震災遺体の現実」を語る【1/4】
作家・石井光太ら、「震災遺体の現実」を語る【2/4】
作家・石井光太ら、「震災遺体の現実」を語る【3/4】
作家・石井光太ら、「震災遺体の現実」を語る【4/4】