実家の片付けをしながら
母の笑っている遺影を見ていると
特に変化があった、ここ数ヶ月の母のことで、ふと気づいたことがありました。
《ここしかないという場を1つだけ用意される》
という母のパターン
そういえば、昔、戦争中、母だけが田舎に疎開したという話も、父と結婚してから住んでいた神戸の家も、明石へ引っ越した家も、そのパターン。
特にこの5ヶ月は、母の本来の流れに戻ったように
「ひとつの場所」に導かれ、とても安心した毎日を過ごしていました。
「もう何の欲もない」という言葉を残して
自分が生まれ育った土地で最期を迎えられたのも偶然ではない気がします。
そして、亡くなったあとの葬儀も
満月・中秋の名月の影響なのかわかりませんが
近くの会場、ご住職の予定、斎場が空いていなくて、なかなか日取りが決まらず
やっと決まったのが、家族葬というコンパクトなスタイルの会場
この日のこの時間しか斎場が空いてないというタイミングで
ご住職の予定が絶妙にパチっと合って
うちの家族と妹家族だけが、みんな揃って見送ることができたのも
たぶん、その母のパターンで進んでいたのだろうと、あとになって気づきました。
『人間万事塞翁が馬』
人生は、良いことも悪い事も予測できないし、そもそも、人生において、何がよくて何が悪いのか後になってみないとわからない。
という意味だそうですが、本当にそうだなぁと思います。
コロナ禍になってから出歩くことが減り
少しずつ認知症も進んでいたり、身体の不調が次々と出てきて、行動範囲も狭まり、自分の判断では出来ないことも増えてしまいましたが
母の人生は、母の独自のパターンで
ありのままの自分の望みを叶えたんだから
それがわたしたち家族にとっても
最高にHappyな流れだったなぁと思います。
そういえば。。。と8年前に亡くなった
父の人生を思い起こしてみると
《強制終了のあとの意外なお誘い》
というパターンだったなぁ。。。
子どもの頃から大変なことも多かったけど
みんなに助けられ支えられ愛されて生きていたんだなぁと思います。
ちなみに
わたしは、父のパターンと同じことが多く
妹は母のパターンを引き継いでいるようです。
顔は逆(父→妹、母→わたし)なんだけど
やっぱりコレって遺伝なのかな〜笑
母のぬり絵 織姫と彦星
宇宙で、また逢えてるのかな〜
そんなことを考えながら
実家の片付け、がんばってる今日この頃です。
アートワークもボチボチ再開しているので
そのレポも、また後ほどアップさせてもらいますね。
いつもお読みいただきありがとうございます。