藤沢あゆみです。
実家の一室。
ここが、作家・藤沢あゆみの始まりの場所です。
わたしはここで、ネットの恋愛相談を始めました。
デザイナーとして働いていた時、わたしは動脈瘤になり、緊急入院、詐欺にあい、仕事も失い、結婚を考えた人にも会えなくなるという、すべてを失いました。
手術を受け一命をとりとめたわたしは、実家に引き上げ、両親が誕生日にプレゼントしてくれたパソコンに向かい、ここから何かを生み出さなければと思いました。
設定も含めて、当時40万円のノートパソコン。
ここから仕事を生み出さなければ。
合言葉は、ネットでキャッシュ。
当時、よく読んでいたのが、雑誌アントレでした。
定時に勤めることは難しいと思ったので起業するしかないと思っていたのです。
父が42歳で起業しているので、わたしにはずっと起業家へのあこがれがありました。
なのでパソコンを初めて立ち上げ検索したのは起業という言葉でした。
そこからなぜか、恋愛相談サイトに行きつき、わたしは勝手に相談に答え始めるのです。
毎日40件の恋愛相談に答えていました。
窓から見える風景は変わりません。
当時答えていた教えてgoo!のサイト
あゆみさんに答えてほしいと言われ、ネットの恋愛相談では人気者になっていたわたしですが、はたから見れば一年中ネットに向かっているネット廃人。
この時点で、ネットから全くお金を生み出していません。
たまにいただく、ニットや服のリメイクの仕事で何とか生計を立てていました。
思うことはひとつ、いつか父にもわかる仕事にしたい。
そこで、恋愛相談に答える仲間に出会い、恋愛メールマガジンを発行し始めました。
気が付けば、アントレを読む時間もなくなっていました。
文章を書けば出版につながる、人の相談に答えコンサルティングできる。
そんな勝算があったわけではありません。
それどころか、今思うと有料で販売できそうなことを無料でいろいろやっていました。
ようやくキャッシュに結びついたのは、まぐまぐプレミアムで有料版メールマガジンを発行してから。
初月の売り上げは恋愛マニアのメンバーで分けると、ひとり210円でした。
今思えば無料で、人に役立つ経験を積めたことがよかったと感じます。
出版の話が来たときには、すでに恋愛相談に20000件答えていました。
当時のわたしのミッションはメールマガジンの読者さんを10000人にすることでした。
出版の話が来た日、第一声は
「うそ~!」でした。
初出版でAmazon一位になり、ある日父がわたしに
「お前が出した本、買うわ」
そういって1260円の本に2000円を払い、
「おつりはええわ」
と言いました。
当時、現役の経営者だった父は朝早く出勤します。
そこで朝5時に起きて、毎日少しずつわたしの本を読んでいました。
あゆみはね、とか、ハッピーハッピーな不倫のしくみなんて書いてある本を、父はいったいどんな気持ちで読んでいたんだろうと思いますが
父は
「これは人のためになる本やな、安心した」
と言ってくれました。
2005年、わたしは恋愛相談から作家ユニットになった恋愛マニアのなかまとともに10万部を突破したモテ本を上梓して、これからも作家でやっていけると判断して、埼玉の草加に引っ越しました
そして2008年に東京の中目黒に引っ越して今に至ります。
思えばわたしにエモい文章を意識するきっかけをくれたのも父です。
小学一年生の頃、わたしの日記を読んだ父は
「お前の文章は最後にオチがあるな」
といいました。
オチと言えば笑いという印象があるかもしれませんが、最後に感動させたり笑いで落としたり、とにかく最後に気持ちを動かして終わる、それを小学一年生の頃から意識しました。
お父さんのおかげで、わたしは作家になれました。
いつの日か、お父さんのおかげで、安心してみていられるビジネスウーマンに慣れましたというブログが書けるように、藤沢あゆみ第二ステージがんばります
みていてね。