★震災…カタチあるもののはかなさに気付いた日 | 藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

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作家。著書29冊。相談30000件超。ananによる信頼できるカウンセラー20人の1人。NHKEテレハートネットTV出演。2023年4月「バズる!ハマる!売れる!集まる!WEB文章術 プロの仕掛け66」発売9日で増刷、7月18日枚方蔦屋書店で101人講演会開催

あゆみですドキドキ

「代わりのない人になりたい」

その思いはこのとき生まれたのかもしれない。

1088回目のモテゾーは

震災…カタチあるもののはかなさに気付いた日

1月17日、阪神大震災。

わたしは、当時神戸北野町のアパレルの会社に勤めていた。

「14センチヒールで北野坂を上がる女」

そう呼ばれていたわたしは、その日もスーツにヒールで駅まで歩いて行こうとした。


200メートルも歩かないうちに、ことの重大さに気付いた。

「戦時中ってこんな感じ?」

もちろん戦時中なんて知らないけど・・・がれきの山に、散乱したコンビニ。ヘルメットをかぶる人。

ミネラルウォーターはすぐ売り切れになった。みんなどこから持ってきたのか、リュックを背負って歩いてる。

当時、みんなケータイなんて持ってなかったし、連絡とかどうしていたのか思い出せないけどそれでも数日間会社に通った。


芦屋から最寄りの駅まで代行バスが出ていていつも数時間待ち。

あるとき

「待ってるのも時間かかりそうなので、誰か芦屋まで歩きませんか?」

と言った人がいて

「あ!歩きます」

ついていったら雑誌に記事を書くために東京からやって来たジャーナリストさんで、その後、ある事件でよくコメンテーターをされているのをテレビで見た。

「掲載紙できたら送りますね」


そのときみた一つの光景は今でも目に焼き付いている。

ガラスのショールームがぐちゃぐちゃに崩れベンツが埋まっていた。

ジャーナリストさんは、バチバチシャッターを切った。

わたしはその時

カタチあるもののはかなさをどこかで感じたのかもしれない。

でも、そのことの意味がわかるのはすこし後のことだった。


当時の社長は、わたしが履歴書に書いていた好きなブランドのメーカーにわざわざ連絡してわたしを雇ってくれないか聞いてくれた。

だけどその後、健康と、恋愛と、財産を失う。

まさに八方ふさがり。

わたしは8年くらい続けたファッションの仕事に見切りをつける。


その時心の底から湧いてきた思いは

「代わりのない人になりたい!」

ううん代わりどころか、誰にでもできる仕事すら自分にこれが向いているという実感なんてなかった。

「社会に顔がある人になりたい!」

だからと言って作家になろうなんてもちろん思ってない、そんな世界があるなんて知らなかった。


ただ・・・カタチあるものにしがみつかない決意がこのときできたのかもしれない。

「やるなら人生で一番若い、今日、いまから」

女だから伴侶によって人生が変わるかもしれない、そのときでもあなただからお願いしますと言われる人になるには・・・年をとったり、辺鄙なところに住んでも困らないためには・・・

そう、有名になるとか、ブランディングみたいな意味で「代わりのない人」だったり「社会に顔がある人」なわけじゃない

ショールームのベンツのように埋まってしまったら意味がなくならない存在になるには・・・

代わりのない存在になるしかないと思った。


すべてを失った時、今冷静に考えれば、あぶないところにいたと思う。

その生活をやめさせるために、天か神さまかわからないけど見えない存在がブレーキをかけてくれたのかもしれない。

震災がなかったらこの仕事をしてないかもしれないと今でも思う。

2度と取り返せないものを失ったままの人もいるだろう。軽々しくこの経験で何かを得たなんてしたり顔で語るものではないと思う。


ただ

どんなに大変なことがあっても時間はいつも前に進んでいて、そして人にやさしい・・・。

今セミナーや、コンサルティングとか恋愛相談とかしていて、今うまくいってなくても人はずっとそのままとは限らないっていう気持ちで人に対しているのは、ダメな自分が何とか着地点を見つけられた経験をしているからだと思う。

人はずっと変わらないとは限らない。

人は生きながらにして生まれ変わることだってある。


わたしを生まれ変わらせてくれて、ありがとう。




読んでくれてありがとう、またねドキドキ