母の日。母への愚痴と感謝。 | 重症新生児仮死で生まれたこまさの記録

重症新生児仮死で生まれたこまさの記録

2017年3月28日、新生児重症仮死で生まれたこまさ。
自発呼吸がなく、生まれてからずっと眠り続けていました。

2018年11月22日、こまさはお空に旅立ちました。
そんなこまさの入院の記録、成長の記録や回想、日々のこと。そして2019年11月からゆるっと妊活を始めました。

母の日ですねブーケ1



母の日に母の愚痴を書こうと思います。

(わざわざ母の日に!性格悪いなー。私

愚痴というか、わりと笑えない内容です。

苦手な方スルーして下さい。





私の両親は私の家から車で5分のところに住んでいます。

でも交流はほとんどありません。

特にこまさが亡くなってからは。



父親についてはまた父の日にでも書こうかな。

とんでもない至上最低最悪なやばい父親の話を。




私は母が苦手です。

できることなら顔を合わせたくないし、話もしたくないです。



そうなったきっかけは母親が5年前にくも膜下出血を発症したことでした。



意識不明の重体から3ヶ月の入院を経て、脳のテスト等の結果から後遺症は全く無いと言われ退院し、車の運転も許可が出ましたが、娘の私から見ると、高次脳機能障害が残っていると感じました。



その症状として顕著だったのが、他人の気持ちを推し量ることができなくなったということでした。

思ったままに失礼な事を発言してしまうのです。

例えば、飲食店で「美味しくないね。」と店員さんの前で言ったりだとか「太ったんじゃない?」とそこまで親しくない知人に言ったりだとか。



そんな母の言動には困りながらも、出産前まで普通に交流はありました。




こまさが生まれた日。

こまさは大学病院に搬送され、夫や夫の家族はすぐ、そちらに向かいました。



夫から連絡を受けて私の両親が産院にいる私のところに来て言った母の一言目が



「だから○○病院にしたほうがいいって言ってたじゃないー」



産院のスタッフの前で。

息子がどうなるのか不安で不安で泣いている私に向かっての第一声がこれ。


絶句でした。 


娘を、孫を心配する言葉はありませんでした。




こまさが生まれて4日目。

母がNICUの面会ガラス越しに初めてこまさをみて言った一言




「延命するの?」




私はこの一言は一生忘れられないと思います。



頭を思いっきり殴られたような衝撃が走り、頭が真っ白になりました。

夫はその場にいなかったのでよかったです。

もし、夫がこの言葉を聞いていたら、繊細な夫はどうなってしまったことか。



この日から母親と会うときに私は心を閉ざすようになりました。

必要以外で連絡は取らなくなりました。




こまさの生前、母は月に一度くらい突然自転車で50分位かけて(車の運転は私が禁止しているため)病院までこまさに会いに来ました(言ってくれれば私が迎えに行って一緒に行くのにと何度言ってもいつも突然来ていました、これも後遺症なのかな。。)

会いに来るときは、洋服などを持ってきてくれたり、「こまちゃん、こまちゃん」と話しかけて触れて、こまさに対して愛情がないわけではなかったようです。



こまさが亡くなった日、両親が自宅に来ました。

母は泣いていました。大泣きでした。

ただ、泣きながら

「こうなる予感がしてたんだよ」と言っていました。

「え?」とは思ったけどとりあえずスルーしましたが、それに続けて

「神様から私はこまちゃんの命の分ももらったんだね。こまちゃんの分も長生きしないといけないね」と。


は???


一瞬涙も引っ込みました、何言ってるのこの人。。。



クモ膜下出血の後遺症だとわかってはいるけど。悪気はないのだとは思うけど。母なりにこまさの死を悲しんでいるんだろうけど。。。



こまさを喪った私にはそんな母を許容する心の余裕はなく。。



私も夫ももう、なるべく母と顔を合わせたくないなとと思っています。。



ただ、後で書こうと思っている父親はもっとやばい人間なので、そんな父と二人で暮らしている母を放っておくこともできず、しばしば連絡を取って近況を確認してはいますが。。



母はこまさが亡くなってから、こまさの事を何も言ってきません。

気を使っているのではないと思います。

それどころか、こまさと同じ年位の近所の子供(私は知らない子供)の成長を報告してきたりして「もう歩くんだってー」とか「会うと挨拶してきておりこうさんなんだよー」とか。正気か?って思います。

あ、正気じゃないんだった。。。

わかっていつつも辛い。。



私の子供の頃からずっと母親っ子だったし、育ててくれた母には本当に感謝しているし、親孝行したいとも思っていますが、今はまだちょっと精神的に無理ですね。。



いつか、落ち着いたら母に優しく接することができるようになるのかな。。。

かなり時間はかかりそうです。




暗い話になっちゃったー。




去年の母の日。

こまさには知人からもらったこの服を着せました。


アイラブママって。。。



正直もらったとき、なんじゃこの服ゲッソリ!!

ダッさ滝汗!!(私も母の事言えないくらい失礼だな)


って思いましたが、もらった以上着せて写真撮らねばと思い、満を持して母の日に着せたのでした。



こまさはずっと病院に入院していたので、着替えは何着か棚に入れておいて、それを看護師さんが選んで着替えさせてくれるシステムだったので、ピンポイントでその日に目的の服を着せるのは難しく、また、こんなダサい服(あくまでも私の主観ですけど、人の好みはそれぞれですので)、看護師さんに見られたくないので、看護師さんの目を盗んで(本来看護師さんの見守りの元でしか着替えは許されていなかったのですが)、着替えさせ、写真を撮ってすぐ脱がせました。



3分位の着用時間でした。



変な服だけど、こまさが着てると可愛くて笑っちゃうよ。

カーネーションの固定テープのこまさ




昨日スーパーで小さな男の子がお母さんにカーネーションを選んでいるのを見かけて泣いてしまった。



こまさもこんな風に成長したのかなぁ。



私が母になれた母の日はたった一度だったけど。

母にさせてくれてありがとう。



また、実の母にもありがとうと感謝の気持ちを伝えたいです(さんざん愚痴ったくせに)。