最近、盗作騒動で話題になった松本零士のマンガがある。


復刻版では「ザ・コックピット」となっているが、「戦場漫画シリーズ」である。


現在なら、絶対に少年誌で連載されることはないと思う。

なんといっても、「戦場」ですから、絶対に今のこどもたちには見せることはないでしょう・・・。

(内容はぜんぜん血が飛んだりとか言うのではないんですけどね)



そのシリーズの中の一つに「衝撃降下90度」というのがある。


内容は、新戦闘機の開発部でプロペラ(レシプロ)機で音速を超える飛行機を作るために、降下実験を繰り返すという話なのですが、主人公のパイロットが1度目、2度目と繰り返すうちに怪我をしていくわけです。


「今日は必ず音速を超えてみせる。理屈もクソもあるか。戦争も勝敗ももうおれには関係ねえ。おれの手足と目をうばった音の壁を、うちまかすことだけがおれの望みだ。そいつがおれの敵だ!!」


そう、モテるということなど関係ない。何かをうちまかすことが目的なのだ。


人間には自己保存の本能があるという


自己保存はいずれ死ぬ、自分の命をつなぐことになる。


命をつなぐためには、つがいになる必要がある。




つがいになれないということに向き合う。


向き合う。向き合うことにこそ、本能を越える何かがある。




本能と戦え!!!!!


本能と戦え!!!!!


本能と・・・・

人間は一人では生きていけない生物である。


僕が今、生きているこの瞬間にも、着るものがあり、食べるものがあり、そしていろいろな物がある。


どれひとつとっても、僕が自分自身で作った物ではない。誰かが作ってくれて、誰かが持ってきてくれて、


それを誰から買ったり、もらったりしたのだ。


事実上、この世界に住んでいる人間は一人では生きてはいない。




ただ、そういう客観的で冷静な分析とは別に、心は別のことを考えている。


誰かと話をしないとき、誰からも必要とされていないと思うとき、「孤独」を感じる。


全人類との共存という事実より、今、この瞬間に誰かとコミュニュケーションすることで、僕らは「孤独」を癒す。




しかし・・・思春期以降、主観的に存在する異性に対する「孤独」について、


「モテない」者は向き合わざるを得ない。「モテる」者がすぐにその「孤独」を癒すことができるのに対して、いっそう


際だって向き合うのだ。向き合ったからといって、解消はできない。ずっと、ずっと、心の中に張り付いている。


休日や空いた時間に否応なく、そいつに向き合うのだ。