昨年の11月だったか、大相撲をやっていた時期である。
広島から帰って駅前の、おかず工房フレスタで買い物をした。
私は相撲をラジオで聞くために外の丸テーブルで待つことにした。
ラジオは建物の中では聞こえにくいのである。
18時で終わるが17時30分頃だった。
  リュックを下ろしてゆったりと聞いていた。
 それからスマホでラジオを聞いたら鮮明に聞えるからスマホでらじるらじるで
нHK第1を聞くことにした。
うまく入ってクリアだった 

 いやホンが落ちてかがんで拾おうとした。
 その時に胸ポケットに一時的に入れていたアイホンが落ちてしまった。
 すぐに拾った。
画面の右上がガサガサになっていたが
相撲中継は聞こえていた。
 それがスマホの画面が傷ついた状況である。
 今から5か月前だ。
 画面の右上隅が縦にさくれている。
2ミリ幅で5センチ近くの長さになっている。
 スワイプなどのジェスチャーで指がそこにくると痛くなる。
ささくれているのである。
 1か月がたち、ドコモショップに行って
なおしてもらうかなと考えていた。
 スマホは正常に機能しているので、本体には影響していないと思われた。
 2か月が経過した。
 年が明けた。
 縦に5センチあまりささくれている。
幅は2、3ミリである。
気になる。
 本体を変えなければならないとなると
保険をかけているから負担は少ないと思う。
 ガラスフイルムだけならば
5千円ていどかなと考えた。
 3か月が経過した。
 家内にも相談した。
家内もスマホのディスプレイが傷ついているという。
いつか富士グランの中のドコモショップで訪ねたらここにはそれにあうガラスフイルムがないからドコモ宮浦店に行ってくれろと言われたとか。
 あれこれとぐずぐずしながら5か月が過ぎた。
 使うのに問題はなかったからでもある。
4月19日の金曜日にやっとふじグランの中のどこもショップに行った。
 午後の2時であった。
女性職員が対応してくれた。
 本体に影響していたら取り替えなければならない。
保険はかけている。
データの移行に次官がかかる。
どうなるかなと心配しながら
スマホを手渡した。
 女性職員はまずガラスフイルムを外してみますねといって
剥がしにかかった。
 さて、どうなっているか。
本体は無事だった。
 ガラスフイルムを取り換えるだけで済んだ。
 手数料1100円が必要だが
取り替えますかと訊いてきた。 よろしくと答えた。
ガラスフイルムの種類とか訊いてこなかった。
同じものをつけてくれるのだろうと思った。
代金を先に払ってくれという。
 約5千円を財布から出した。
 別のところで取り替えて数分後に持ってきてくれた。
 電源を切って処理したので
電源を入れたからパスコードを入れてくださいという。
 ぱすこーど!を入れたら正常なディスプレイ画面になった。
 女性職員は、これでできました。
本体に傷がついていなくてよかったですね。
といってくれた。
 やっと昨年11月にスマホを落として傷がついた対応ができた
触った感触もよくなった。
本体に傷がついていなくてよかった。
 すぐに自宅に帰ってきたので
データの移行に必要な時間がかかっていないので
ガラスフイルムだけを変えたというのが分かったようだ。
ほっとした顔がわかったのだろうか
 スマホの傷の対応の顛末はこれでおしまい。
 

 約2週間パソコンがネットに繋がらなかった。
ネットに繋がらないパソコンはあまり役に立たない。
 メールの送受信ができない。
返信がきていてもわからない。
メールをしたいのにできない。
 ホームページが見られない。
 電車などの乗り継ぎやダイヤが調べられない。
 辞書ソフトもネット接続ができていないと使えない。
 ブログもアップできない。
 ブルーつーす接続のプリンターも仕えない。
いろいろとこまるのである。
 家の中で同じルーターをつかっていて
家人の別のパソコンは順調に繋がっている。
 これはどうしたことだ。
 1995年くらいからもう28年以上パソコンをしているが
こんなに繋がらないのは初めてだ。
 有線ケーブルでは繋がるかもしれないが相当以前にケーブル接続で使っていたが
今は無腺ラン接続である。
ニュースも天気予報も見れない。
 テレビやラジオでニュウー巣や天気予報はわかるが
パソコンをいつも手軽に使っていた状態からみれば
不便である。
 スマホも使っているからそれを利用しているのはもちろんだが
パソコンを使ってのメールの送受信
ホームページを見る。
ユーチューブを見る。
ニュースや天気予報を見る。
 旅行などでの時刻表を見る。
ウィキペディアで調べる。
いろんな電話番号を調べる。
 まあ、いろんなことが出来なくなる。
 ネット接続を何度も確かめる。
近くのパソコンショップに尋ねようかと思った。
 友達が
ルーターのコンセントを抜いて、また入れてみるとか。
 高知システム開発に問い合わせてみるとか。
そんなアドバイスももらった
  デジカメで撮影したデータが送れないから
CDにデータを焼き付けて数名に渡した。
手渡しである。
  10日を過ぎた。
大変、不便である。
 スマホからメールを何人かにはできた。
文字入力が音声変換でやっているから
誤変換も多い。
電話連絡も多くなった。
 空き時間にサピエからダウンロードしたデイジー図書などを
よく聞いた。
 センスプレイヤーが届いたからでもある。
リンクポケットももっているからそれでもできたのであるが
センスプレイヤーは便利がいい。
パソコンをつかえないので空き時間がある。
少しは有効に活用で来たかな。
 でも不安がよぎる。
ブログも書いていたほうであるが
ここ2週間書けなかった。
書いてもアップできない。
だから下書きのワープロソフトで
つまりマイワードⅦでいくつか書いたが
アップができないとなると
書くのを辞めていた。
 4月18日の木曜日に
市民大学で知り合ったパソコンに詳しい方に
電話して救援を求めた。
 その方の対応は早くて
すぐに車手ノートバソコンを預かるからといって
取りに来られた。
 自分の内でそのパソコンの接続を調べてくれた。
ケーブル接続はうまくできた。
何回か電話連絡をもらった。
 私が午後から2時間あまり用事があって外出したから
午後4時に来てくださって
ネット接続をした。
うまく接続できて
ユーチューブなど見れた。
Wi-Fiのいつも使っているものに接続を試みてもらった。
それもできた。
 よかった。
 その方に感謝である。
 その後はWi-Fi接続が切断されることも無く
順調にノートパソコンが使えている。
 パソコン店に出すことも無く
回復したのがうれしい限りである。
 4月5日から18日までの約2週間
悩んだ。
苦労した。
心配した。
 これならば、もっと早くにその方に連絡誌て
対処してもらっていたらとも思った。
 たぶん当分は大丈夫だろう。
またWi-Fi接続が途中で切断されることの内容
願っている。
 そんなことがまた起きたらすぐに、その方にお願いしたい。
 何かあったらいってくださいともいってくれた。
強い見方ができたような気がしている。

  昨年から話題になっている、福山城の宿泊
いよいよ7月から実施されるという。
 1泊2食の二人で132万円
愛媛県の大洲城は66万円とか。
これを参考にしたという。
 大阪から新幹線で1時間 福山駅のすぐ北にあり利便性はよい。
外国人客の富裕層をターゲットにしているとか。
 月見櫓の2階が宿泊場所
1階は食事場所となる。
家来に扮する武士たちが出迎える。
筝曲の演奏もある。
 これはすごい。
福山城天守閣は築城400年で改築された。
エレベーターで5階まで行けて映像など現代技術を活用している。
火縄銃の射撃体験
騎馬兵の体験
槍を持って見ることもできる。
 私個人としては宿泊料金が高くて
泊まれない。
興味はある。
 最近、新聞記事が出ていた。

7月から実施

文化・歴史好き富裕層向け

 福山城を貸し切りにして一夜を過ごす「城泊」(キャッスルステイ)の予約受け付けが19日始まった。7月から宿泊でき、2人1泊2食付きの基本プランは132万円(税込み)。円安を背景とした訪日客の回復や来年の大阪・関西万博を追い風に、福山駅前という好立地も生かし、日本の文化や歴史に関心が高い富裕層らを主なターゲットにする。(

 福山城は、2022年の築城400年に合わせて天守などを大規模改修。福山市などが、市の歴史や文化を知ってもらうために、新たな観光の目玉として城泊の実施を決めた。同年秋には外国人観光アドバイザーらに泊まってもらう実証実験を行った。その後も、希少施設への宿泊だけが目的とされるのではなく、歴史の追体験など付加価値の高いサービスを提供して満足してもらえるよう検討を重ね、施設も整備した。

 城内の博物館が閉まる午後5時から貸し切りとなる。「入城体験」では筋鉄(すじがね)御門(重要文化財)が開門され、着物姿の家臣役に出迎えられて殿様気分を味わえる。「御湯殿」で当時の蒸し風呂をイメージしたサウナ付き浴室で旅の疲れを癒やす。

 2階建ての月見櫓(やぐら)が客室で、2階が寝室になる。1階で取る夕食は、福山藩主の阿部正弘(1819~57年)が老中首座だった幕末、来航した米国のペリー一行をもてなしたメニューをアレンジし、瀬戸内の魚介や地元で採れた野菜などで作られた料理を楽しむ。

 食後は天守最上階で、琴の演奏を聴きながら夜景を満喫する。能の鑑賞や鞆の浦への観光などのオプションもあり、専属のコンシェルジュが対応する。

 価格は既に城泊をしている愛媛県大洲市の大洲城(1人1泊2食付き税込み66万円)などを参考にした。高価だが、期待するのは海外の資産家らの利用。歴史的な円安水準もあり、日本政府観光局によると、3月の訪日外国人客数(推計値)は308万1600人と単月では初めて300万人を超えた。新大阪から新幹線で1時間あまりの距離で、駅前にある利便性も長所になりそう。

 福山市の枝広直幹市長は「富裕層のインバウンド(訪日外国人客)は重要な顧客になると期待したい。ほかの宿泊施設とは差別化された商品を提供できると思っている」とPRする。

 城泊の事業は、福山城の指定管理者である「ふくやま芸術文化財団」が担う。問い合わせは、ホテルなどを運営するVMG総合窓口(0120・210・289、午前11時~午後8時)。

 去る4月16日に雨中と星空のテーマで講座を開きました。
視覚障害者を対象とした講座です。
 参加者も10名以内に制限しての開催でした。
 講師は藤井瑠美先生でした。
準星のソムリエになったとか。
倉敷市の天文台や教室によく通っていました。
 実は私の娘なのです。
 自分の方から講座を開かせてくれないかなと持ち掛けられたのです。
 やっってくれと依頼したのではないのでアル綿よかったですね。
 お月さんを早くから用意していましたが
これは触るとみるのとでは逆だということがわかったとか。
 球体のお月さんのなかからランプで照らすといったもので
厚く盛り上がった部分がくぼみになるとか。
これは光をあまり通さずに暗く見えるからです。
平らなつるっとした部分は光がよくとおってくぼんではいない部分です。
従って触った間隔とはちがうのでした。
 後で気が付いたとか。
私も触らせてもらいましたが
ドッチボールくらいの大きさで触りやすかったですね。
 視覚障害者が手で触るのとちがうということで
私に相談があり
昨年ぽぽろで3Dプリンターで作ったより本物にちかい模型を
覚えていましたので
それらはスカイツリーとか
国会議事堂とか 
金のしゃちほこ
山椒魚、赤血球などでしたが
お月さんを作ってもらおうとコンタクトを取りました。
広島大学の川田先生のグループです。
 ボランティアセンターからぽぽろに連携して広大に伝えてもらいました。
早速にお月さんを作っていただきました。
 すぐやる対応には驚きました。
手のひらサイズで触ることができるのが3dプリンターで作るいいところです。
だがもう少し大きい方がよかったかなと思いました。
 ソフトボールより大きくてバレーボールより小さいと表現したのですが
ボラセンからぽぽろそして広大に伝わった時には
手のひらサイズが伝えられたのでしょう。
テニスボールくらいの大きさのお月さんが届きました。
それでも敏速に対応してくださいました。
16日の9時前に着払いで届いたので
講座には間に合いましたが
下調べなどできていないので実際の講座は次回にしてくれることになりました。
それもちょっと触りましたが
クレーターの凹凸が小さくてわかりにくい感じでしたね。
これが静香の海だと指定して触らせてもらえば
わかるかも知れませんね。
 点字機もメルカリで安く出ていたので買ったとか。
いろいろと準備していましたね。
 サンシープラザの4階の会議室で
講座ははじまりました。
 宇宙はどこからか
この質問で
4択でした。
1 100キロ
2 400キロ
3 3万6千キロ
4 38万キロ
 挙手で答えてもらうのでした。
1番か2番に手賀あがりましたね。
 正解は1番でした。
 2番の400キロは宇宙ステーションの飛んでいる高さです。
 3番の3万6千帰路は
静止衛星の高さです。
気象衛星とか、放送衛星などです。
4番の38万きろは
地球からお月さんまでの距離です。
 それを講師がわかりやすくせつめいしていましたね。
宇宙は150億光年の長さがある
銀河がたくさんあるが
地球が含まれる銀河は
天野川銀河だとか。
その太陽系で
3番目の惑星が地球です。
 地球は天野川銀河の太陽系の第3惑星だといえばよいとのこと。
 天野川はミルキーウェイともいいますから
乳白色に霧のように星が連なっているのですね。
天野川は目がよく見えていたこ頃に見たことがありますね。
 それに近い銀河はアンドロメダ銀河です。
 春の星座の説明もありました。
製図用のケント紙を遣ってビーズやボタンのようなものや
糸で星座の触察図をつくっていました。
3種類10人分
よく頑張って作ってくれました。
ビーズやボタンのようなものですからわかりやすかったですよ。
 1枚は北斗七星
大熊座の北極星
2枚目は牛飼い座
3枚目はおとめ座
 1等星か2等星をむすべば
春の大三角になるとか。
 春の星座の代表的なものがわかりまみわかりました。
 初心者用の三脚付きの望遠鏡をもってきてくれていました

レンズは触らない方がいいのですが
視覚障害者に他医対する講座なので
触らせてくれました。
7センチ屈折望遠鏡だとか。
小さい倍率の望遠鏡でまず見て
おおきな倍率の望遠鏡で大きくしてみるとか。
初めから倍率が大きいと星を探しにくいとか。
 みんなの考えを聞いたり
授業の展開もよかったと思いました。
 100人くらいは入れる部屋でしたが
10名前後なのでゆったりとしていました。
マイクはなしで
聲は通っていましたね。
話の一部を書かせていただきました。
 シリーズで全部で4回、行う予定です。
今度は7月あたりに夏の星座を中心として展開してもらいます。
1時間半はあっという間に終わりました。
 最後にコーヒーとお菓子が出て
星の雑談をしながらティータイムを過ごしました。
皆さん、お疲れ様でした。


 

 少し前のことになります。
4月11日に五日市市の造幣局の花回り道に行って来ました。
八重桜が満開でした。
ボリュームのある八重桜が67種211本もあります。
眼や膝の高さにまで枝がたわんでいあるものもあり
手で触れやすかったですね。
 そっとは触りましたが
ほとんど見終わった頃に係の方が桜の花には触れないでください。
そっと丁寧に触れてくださいと注意がありました。
10人のグループでしたが白杖を3人はもっていました。
視覚障害者のグループだとわかります。
 一般の肩にはさくらの花には触れないでくださいということだったのですね。
 顔の近くまで花をもってこれて香りも嗅ぐことができました。
匂いのある桜は1本ありましたがほとんど香りはありません。
 普賢とか関山とか江波山さくらとか
たくさんの種類があるものですからその時は感心して聞いておりましたが数日たつと忘れていますね。
 観桜客は多かったです。
 花回り道の中には大きな道が東西に
2本、南北に1本あったようです。
他に小道もありましたね。
20年から30年も前に来たことがあるメンバーもいましたが
その頃は桜の木も小さかったようで見覚えがないようでした。
立派になっているといわれていましたね。
 私は初めてでした。
見事なさくらで来てよかったですね。
たくさんの観桜客の話し声も聞こえてきますが
きれいだとか
立派だとか
観劇したとか。
筝曲もながれていました。
春の海とか
さくらさくらとか
春らしい雰囲気を盛りあげていましたね。
さくらをバックにいくつも写真を撮りましたよ。
あちこちから移植したさくらがおおくて
大阪の造幣局の通り抜けのさくらもいくつも移植しているとか。
11日は夕方にнhkのお好みワイドで中継があるといっていました。
 三原に帰りついてメンバーの電話聯絡で最後の部分を見ました。
 春爛漫といった感じでしたね。
 タクシーで広島市植物公園に移動しました。
 12月に神田山荘に行った時のタクシーがなかなか来ずに困った経験がありましたが
今回は3代スムーズに予約時間に来てくれました。
  植物公園でまずは昼食です。
🍴にまっすぐ向かいました。
植物公園はちょっと、お客は少なかったですね。
音質で胡蝶蘭がきれいでした。
オニバスは子供が乗れるくらいの葉っぱになるようですが
現在は葉っぱは小さかったですね。
夏くらいになると鬼ばすといわれるように大きくなるのでしょうか。
オニバスはどこかと探し回りました。
勉強になりました
 桜も咲いていましたが造幣局のさくらが良かったですね。
 芝桜やネモフィラ
プリムラ、デイジー
いろんな鼻が咲いていました

日本庭園とバラ園には行きませんでした。
ゆったりと広い植物園ですごすことができました。
帰路は植物公園前から路線バスで五日市北口まで直通で帰りました。
18分間でした。
電車の人になりました。
 以下にスケジュールを付けます。

ヤマガラの会
行先 造幣局広島支所 花の回り道 広島市植物公園 広島市
期日 令和6年4月11日(木)
スケジュール
 往路
三原 8時43分 → 五日市 10時15分(JR山陽本線 大野浦行 1520円)

五日市駅北口 シャトルバスが運行。
10時20分  10時35分  10時50分 220円
 あるいはタクシー 1.5キロ

10時30分から11時30分
造幣局広島支所 花の回り道
 67種 211本の桜

 造幣局広島支所 -
住所 731-5128
広島市佐伯区五日市中央6丁目3-1コイン通り
電話 082-922-1111
 1週間限定で一般公開
4月5日(金)から11日(木)の1週間 一般公開 
入園料 無料

 植物公園に移動
しょくぶつこうえんからばすていまで結構歩くという。
五日市5丁目口 11時30分  地毛 11時39分 (広電ばす薬指ヶ岡団地行 
200円  徒歩 15分

 タクシーが便利とのアドバイス。
直接、植物公園まで行くからである。
 造幣局から植物公園は約3キロ
タクシーで1200円から1500円

12時 広島市植物公園 到着

12時から15時30分
 昼食、その後、植物公園内の散策
入園料 510円
 レストラン カフェ あり
 (任意の料理を注文する)

広島市植物公園
住所  〒731-5156
広島県広島市佐伯区倉重3丁目495
電話番号 082-922-3600

15時36分発 植物公園 16時 五日市駅 北口 270円

帰路
五日市 16時23分 → 三原 17時56分 (JR山陽本線 糸崎行 1520円)
①造幣局の花の回り道で主に枝垂れ桜や八重桜などの見学
 広島市植物公園で
さくらやいろんな植物の散策をする。
1976年(昭和51年)11月3日開園敷地面積は18.3ヘクタールであり、同公園のシンボルである大温室をはじめ、サボテンや熱帯スイレン、ベゴニアなどの温室のほか、植物に関する展示資料館や芝生広場などの設備が設置されている
同園にはおよそ11,650品種234,600本の植物が栽培されており、植物に関する研究も行っている。
②弁当はいらない。
 植物公園のレストラン カフェで昼食。
 予約はいらない。任意の料理を注文する。
③持ち物はリュック、スニーカー、帽子、雨具、お茶、携帯電話、身障手帳、お金、
  常備薬、その他の必用なもの。
④トイレは五日市駅や造幣局や植物公園などにあります。
⑤少雨、決行とします。
 計画案は変更することがあります。
  五日市駅から造幣局はシャトルバスが便利とか。
  造幣局から植物公園はタクシーがよい。
植物公園から五日市駅は路線バスを利用。
とかなっている。
通じは便秘気味である
 
 

  尾道鉄道縮めて尾鉄
私の小さなころに乗りましたね。
母親の実家が尾道市の栗原でした。
連れられて尾道鉄道にのりました。
尾道駅から乗末までわずかの躯幹を乗ったのを覚えています。
今からいえばマッチ箱のような車両が一両ではしっていました。
バス1台分でしょうか。
ホームがあり探査がありましたね。
乗末駅から歩いて20分くらいで母親の実家に着きました。
蒸気ははいていなかったから電気鉄道だったのかな。
 中学の頃にはもう亡くなっていたような気もします
それからは尾鉄はバスだけになりましたね。
 三原には尾鉄のような鉄道はなかったですね。
 福山に鞆鉄軽便鉄道がありましたね。
これは載ったことがありません。
 懐かしい思い出です。
 その記事があったので思い出してみました。

てつたま。「てっちゃん野川のローカル魂」です。【野川キャスター】今回も前回に引き続き、こちら“オノテツの車窓”から。かつて尾道を走っていた尾道鉄道の回顧録?をガイドブックに、60年前に思いを馳せながら、廃線跡を巡っています。こうして目をつぶると…ガタンゴトン、ガタンゴトン。尾道鉄道の電車の音が聞こえてくるかのよう…それでは…【野川キャスター】「この辺りがちょうど、尾道鉄道の尾道駅のあたりだったということなんですね」尾道鉄道は、1925年に開業した尾道の市街地と当時の御調郡御調町の市駅を結ぶおよそ17キロメートルの路線でした。しかし、車社会が進み、利用者の減少から、わずか39年で廃線に。前回は、かつての線路跡をたどってJR尾道駅から北上し、尾道鉄道の痕跡を探しました。そして今回は、尾道市の美ノ郷町本郷からスタート。まずは尾道鉄道沿線の中学校へ通っていたという森下さんに線路跡を案内してもらいました。【森下美和さん・野川キャスター】「完全に生活の一部。姿変えてますね。ただ、言われてみると、確かにここを走っていたと言われればイメージがおぼろげながら浮かぶような。ここが築堤の石積みが綺麗に残っているところですね」「そうですね、そのまま残ってますね」「この辺りもちょっと他にも痕跡が」「あそこへ枕木が」「もしかしてこれですか?」「そうですね。釘の穴が残ってますね。今、横に置いてありますけど、これがこうですね。はい」「このように通ってましたから、枕木がこうなっていたわけですね」「ちょうどですから、これが線路の幅ですね。JRと一緒ですからね。線路の幅は」「1067mm。もともとここにあったかのように馴染んでますけど。この一帯というのも、もう森下さんにとってはなじみ深い場所ですか?」「そうですね。中学生時代の通学路ですから、これが近道、ここが」「ここがですか?」「これが近道、線路まさに線路の上を。枕木の上を歩いて。ほいで(電車が)来たら警笛を一応、鳴らしてくれますからね」「それはもう運転手さん側も、そんなに『あー!』って感じじゃなかった?」「ないですね、はい、怒られることもなし。学校の先生に何も言われた事はなかったですからね」「ここがちょうど、森下さんのページになってますけど、釘を電車に轢かせて平らにするのをよくして怒られた」「はい。それはふふふ」森下さんの少年時代に確かに存在した尾道鉄道…その思い出は今でも、脳裏に焼き付いているといいます。【森下美和さん・野川キャスター】「尾道はね、牛市があったんで、成牛にした牛を販売するのに、付いて行きよったですね。行きは牛について、帰りはお金が入るから電車のせてもらって帰った」「そうなるとやっぱり帰り電車に乗るというのは、特別な思い出になりますね」「思い出になります」「運賃は?」「運賃は小人で15円位だったと思うんですけどね」「尾道までその位かかると安くはないですね」「まあ倍です。大人30円ですかね?」「となると結構したんだなという印象です」「ちょうどその頃、中華そばが45円でしたからね。やっぱり、牛が売れたら、中華そば食べて帰りよったですから。まあ、今思えば本当懐かしいし、楽しかったですね。電車に乗ること自体がね」続いて美ノ郷町からさらに北上し、木ノ庄町へ。バイパスの急こう配を上る道中に、尾道鉄道において忘れてはならない歴史を刻んだ碑がありました。【野川キャスター】「失礼します。えー、慰霊碑ですね。南無妙法蓮華経と刻まれています。裏側をちょっと見てみます。昭和21年8月13日。37名遭難の碑、尾道鉄道株式会社建立ですかね。ちょうどこの辺り、本当に勾配のかなりきついところです。たくさんの方がここで命を落とされて、鉄道事故によって亡くなった方の数と言うことで言うと、中国地方では未だに一番たくさんの方が犠牲になった事故の慰霊碑であるということですね」終戦から1年後の1946年。大勢の人を乗せた市駅行きの電車は、石畦駅を過ぎ、峠越えの急こう配に入ります。その道中に突如、電気を取り入れるポールが外れ、停止。動力を失った電車は坂を1キロほど逆走し、急カーブで脱線。37人が死亡する大惨事となりました。バイパスの脇にひっそりとたたずむ慰霊碑は、その事実を今に伝えています。慰霊碑のある場所から木ノ庄バイパスを上っていくと、トンネルに差し掛かりました。【野川キャスター】「えー、ここで起点から40mと言うことで、もうもう出口が見えてきました。明るくなってきました。なんかそこに、プレートがありますね。あ!そうなんですね。この歩道トンネルは旧尾道鉄道の2号トンネルを利用して作られたものです。ということで、やっぱりここは、尾道鉄道の実際に使っていたトンネルといいますか、時代背景で言うと、あの昔の言葉と言いますか、隧道と言ったりしますけど、そんな感じですね」この後も、峠越えの急な勾配がしばらく続きます。【野川キャスター】「だいぶ登ってきましたね。あっ!あー、見えました。うわー、あれは間違いなく尾道鉄道のトンネルですね。さっき見た2号トンネルとはもう一線を画しますよね。真ん中のところ、レンガとレンガの間に石。キーストーンもはまってますし、なんか非常にこう格式高いトンネルですよね」尾道鉄道の石畦~畑駅間には6本のトンネルがありましたが、この4号トンネル1本だけが当時の姿のまま、今も利用されています。【野川キャスター】「これはあれですね、下の土台に近い部分は規則正しい石積みできてますし、真ん中より上がレンガ造りなんですかね?でも今見ても、かなりおしゃれな感じがする作りですね。これ“オノテツの車窓”からの中にはしっかりとですね、この4号トンネルについての、記述もあるんですね。『当時の面影をそのまま伝えてくれるのが、4号トンネルになり、緩やかにカーブするトンネルは総延長およそ80m。レンガと石を組み合わせた作り、フランドル積みという造りになる』と、記述がありますね。イギリス式とフランス式があるそうで、1段あたりに長いレンガと短めのレンガを交互に並べるものがフランドル積み。なんか長め、長め、長めな気もしますけど。地味で暗いイメージのトンネルにあって、どこか洒落た印象を与えている。本当にこれはそう思いますね。こう一つやっぱり構造物として美しいなあっていうのをね、非常に感じますよ。この石積みとレンガの調和もそうですし、このトンネルの美しいアーチ状のこう断面といい」

  孫たちが春休みに遊園地に行く約束をしていた。
これは無理となった。
 家内が膝関節の靱帯損傷で装具をつけて松葉ぢ杖歩行となったためである。
 両親が連れていくだろう。
 こちらはその代わりに握りずしが食べたいというので
はま寿司にいった。
 私は久しぶりだった。
 お父さんは仕事である。
 昼食を兼ねて行ったのである。
 回転ずしだが今は回転していない。
ストレートでベルトは動いている。
回転しているベルトに載っている握りずしなどを気に入ったものを皿事とるのではない。

衛生的な面を考慮したのだろう
ずっと回転しているベルトの上を回っていたのでは空気中のほこりや雑菌などが付着する。
プラスチックのカバーで覆っていたこともある。
それでだけではいけないのだ。
 6人座れるテーブルに着いた。
ストレートのベルトに近い側に座ったものが世話係である。
タブレットで注文したものが届いたらアナウンスがある
気を付けていて見つけたら取るのだ。
 タブレットも私は苦手である。
娘が全部やってくれた。
 中トロを頼んだら
いくつもあった
3種類以上あった。
大トロもいくつもあった。
アナゴやうなぎを食べた。
いくらはあったがウニがなかった。
サーモンや鯛、ブリを食べた。
孫たちもポテトチップスやのみもののセットを取り
握りずしもマグロなどお母さんに注文してもらっていた。
お兄ちゃんは自分でも注文したいとタブレットをいじっていた。
ベルトからとるものだけでなく
お店の方がテーブルまで運んでくるものもある。
2巻でセットかと思ったら1巻だけのあった。
孫たちはラーメンを一つとって半分分けしていた。
やはり妹の方が食べるのは少ない。
お兄ちゃんがリクエストしただけあって握りずしをよくたべた。
茶碗蒸しもいただいた。
昼間でもあるしあとの予定があったからアアルコール類は飲まなかった。
 最後にデザートを食べた。
孫たちはチョコアイスを頼んでいた。
 私はよくわからん頼んだようだった。
上にアイスが乗っかっていた。
それにコーヒーを追加した。
 コーヒーは陶器のコーヒーカップでなく
紙コップだった。
持ち帰り用にでもできるものだ。
MとSがあるというからMにした。
ちょっと多めだったかな。
6人掛けのテーブルに
おばあさんが真ん中で孫たちが左右に座った。
私と娘つまり孫の母親と二人で据わった 

孫たちはおばあさんが大好きな野田。
1じかんはんがあっという間にすぎた。
 マイカーはお父さんがたまに通勤に使っている。
今日はマイカーがない。 行も帰りもタクシーをつかった。
 大人3人と小さい子が二人である。
娘が自転車で行くことにしていたが
タクシーの運転手さんが娘さんも乗れるというので
自転車をおいてみなタクシーに乗った。
ほんとはいけないと思う。
でもお兄ちゃんが小さいので幼稚園ににも見える。
いいとするか。
孫たちの春休みのリクエストが一部かなった。
遊園地は両親といってくれ。
 おじいさん、おばあさんとはまた行こう。
二人の孫はあまり食べない。
小食なのであるが
好きなものはよく食べる。
デザートも別腹いって食べていた。
おいしく食べてくれてこちらもうれしかった。
春休みの一日が終わった。


 

 富士グランの近くの歩道の街路樹が2月ころから伐採されている。
大きな樹木である。
短い時間だが歩道がその付近だけ通行止めになっていた。
何回もそれに出くわして交通誘導員に車道を通って案内してもらった。
風景は見えないが大きな樹木が切られて、よく見えるようになったのかも知れない。
 市道であるから三原市が実施しているのだ。
 都市計画課が何年か前からアンケート調査をしていたように思う。
歩道の花壇や樹木のことをよくたずねていた。
 沼田川の川土手の庭園も
調査があったように思う。
 大きくなった樹木は邪魔になるのか。
枝が低い部分からでると歩行の邪魔になる。
車も通りにくくなるから枝はすぐ切る。
低い部分から枝のでる樹木は街路樹に適していないのかもしれない。
港にあるワシントンや市のような7メートルから10mはありそうな樹木であるが
最上部に枝があるだけでその下はまっすぐな柱のような状態になっている。
ワシントンヤシは南国風で港に適した樹木だと思う。
 わたしの住んでいるマンションも
大きな樹木を伐採した。
 数年前から夏にクマゼミなどが泊まって喧しく鳴く。
2階や3階は窓を開けていると非常にやかましい。
管理人さんがセミを網でとっていたこともある。
 理事会で大きな10メートルあまりになる樹木を伐採してほしいとの要望があると言われていた。
緑はあった方がいいと私は思っていた。
この2月に何本かの大木が伐採された。
残念。
 すっきりしたかも知れない。
 この夏はクマゼミなどがあまり来なくなるかも知れない。
 公園や山麓の緑はいい
それを求めて散歩する。
山歩きも森林のヒトンチッドが出て
気持ちが落ち着くのである。
緑は大切にしたいものである。

  ここのところ、有名人がよく亡くなっている。
нHKの元アナウンサーの鈴木健二さんが老衰のため、95才でなくなった。
テレビでよく出ていた。
小太りな方で髪の毛が薄くなってきていた。
いろんな知識をもらった。
記憶に残っていた。
 元気に何か趣味の生活をしながら頑張っておられるのかと思っていた。
残念ですね。
鈴木健二さんをしのぶテレビやラジオの番組でもあれば
お声を聞いてみたい気がする。
懐かしく頭の中で声を思い出している。
 以下はその記事です。


元NHKアナ・鈴木健二さん死去 名セリフ残す「私に1分ください」「知るは楽しみなりと申しまして」

 「クイズ面白ゼミナール」の司会、ベストセラー「気くばりのすすめ」などで人気を博した元NHKアナウンサーの鈴木健二(すずき・けんじ)さんが3月29日、老衰のため死去した。95歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。

1952年東北大学卒業後、画家を目指していたが、友人に誘われて受験したNHK採用試験に合格して入局。アナウンサーとして熊本放送局に配属された。2度目の東京配属となった60年ごろからドキュメンタリー番組のナレーションを数多く担当。全線開通前の東海道新幹線からの4時間に及ぶ実況生中継(64年)、アポロ11号月面着陸特別番組(69年)などの司会を務め話題となった。

 66年スタートの「こんにちは奥さん」の司会では、主婦層をターゲットにしたこの番組でも多くの視聴者の心をつかんだ。69年には「こんにちは奥さん」や「昭和の放送史」の司会に対して、第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞。78年「歴史への招待」、81年「クイズ面白ゼミナール」などが人気となり、83年から3年間「NHK紅白歌合戦」で白組司会を担当した。

 「クイズ面白ゼミナール」は鈴木さんが「主任教授役」で登場。オープニングには「『知るは楽しみなり』と申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。私は当ゼミナールの主任教授でございます」という決まり文句でスタートし、番組の名物となった。

 1982年9月12日にマークした視聴率42・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は「クイズダービー」「連想ゲーム」「ぴったしカン・カン」「なるほど!ザ・ワールド」「平成教育委員会」「世界まるごとHOWマッチ」などの各局の伝説的番組を抑えて、クイズ史上最高視聴率として今もなお君臨している。
 2度目の白組司会を務めた1984年の「第35回紅白歌合戦」では、同年に引退宣言をしていた都はるみさんがトリで歌った後、会場からアンコールが巻き起こる中、「私に1分間時間をください」と呼び掛けた。その後、涙にくれてしゃがみ込んでいる都さんに「エネルギーが少しでも残っていたら歌ってください」と声をかけ、感動のアンコールシーンを演出した。「私に1分間時間をください」は当時の流行語にもなった。

 3日前か、三原市のラインに入っていた。
竜王みはらしラインが全面通行止めという。
4.6キロのスカイラインである。
途中ののり面が幅20メートル高さ10メートルほどが崩落しているとか。
早めに工事して片側通行までには復旧したいという。
 竜王山の展望台不付近は樹木が折られたり
傷つけられたりしていて
桜の花見に備えて2月に枝切りや草刈りなどをして整備したとか。
しかし車道が通行止めでは花見客少なく成る
 竜王みはらしラインが通れなくても
幸崎町の久和喜からの車道を登れば竜王の山頂近くの駐車場まではイケル
 あるいは和田か須波の登山口から筆影山の峠を経て竜王山に登れば車も竜王山駐車場まではイケル。
硫おみはらしラインが全面的に通行止めでも
竜王山の展望台付近の桜の花見には行けないことはない。
しかし花見客は減るだろう。
今が花見の最中であるからだ
 筆影山の山頂と7合目の峠の駐車場付近のさくら
竜王山の展望台付近のさくらは三原の桜の名所にもなっている。
 他には宮浦公園のさくら
妙正寺と本町中央公園付近のさくら
妙正寺あたりは以前はぼんぼりも飾られていた。
 三原城跡公園の天守台にも数本さくらはある。
沼田川の川土手に
沼田大橋の北側の川土手にも数本さくらはある。
 尾道市の千光寺好塩や瀬戸田の耕三寺のさくら
因島の因島ロッジの付近の桜
岩城島の積善山の桜
世羅甲山ふれあいの里の枝垂れ桜
御調八幡の枝垂れ桜
福山城公園のさくら
服部大池の桜
まだ広げればたくさんのさくらの名所はある。
 桜前線に沿って北上すれば何度もさくらの花見はできる。
でも同じ小地域では
一度にさくらは開花するから
あちこちのさくらを同時に見にはいけない。
 ソメイヨシノは500年後には消えてしまうとか。
理由も書かれていたが
そうならないように対応してほしい。
まあ500年先など私にはわからない。