廣瀬順子 女子柔道57キロ級で金メダル
 アイフェスタ福山で講演会があり講師に廣瀬順子さんがきていた。
講演会を聞いた。
 愛媛県の松山市に住んでおられ、身近に感じていた。
 講演では体重コントロールに苦労している話をされていた。
体重が増えて原料に苦しむのだという。
 銅メダルが最高だったが
今回、金メダルである。
おめでとうございます
 視覚障害者の柔道は
全盲も弱視も組み合ってから開始になるという。
技がかけやすくなる。
 主人さんがコーチで体落としを特にれんしゅうしたという 

 それが決まってよかった。
 以下に記事をつけます。


パリパラリンピックの柔道女子57キロ級(弱視)で6日、日本女子初となる金メダルに輝いた広瀬順子選手(33)。前回東京大会までともにパラリンピックに出場した夫の悠(はるか)さん(45)がコーチとして支え、二人三脚で頂点をつかみ取った。

 悠さんは2008年北京大会で初出場した弱視の柔道選手。国際大会で出会ったのを機に15年冬、順子選手と結婚した。16年リオデジャネイロ大会は夫婦で出場し、順子選手が銅メダルを獲得。東京大会はともにメダルを逃したが、「やりきった」との思いは共通していた。

 大会後は松山市の自宅でのんびりと過ごし、「子どもがほしいな」と将来のことを語り合っていた。しかし、順子選手は東京大会の3位決定戦で、先に「技あり」を奪いながら延長戦で敗退したあの悔しさが次第に頭から離れなくなった。

広瀬選手にスタンドから声援を送る夫の悠さん(左)(6日、パリで)=木佐貫冬星撮影広瀬選手にスタンドから声援を送る夫の悠さん(左)(6日、パリで)=木佐貫冬星撮影

 「次もやりたい」。思いの丈を伝えると、悠さんは「一緒に練習するよ」と応じてくれた。悠さんの知人が監督を務める地元高校の柔道部に通い、悠さんがライバル選手の技や動きをまねして練習相手となった。

 パリでは選手村から毎晩のように悠さんに電話をかけ、気持ちを落ち着かせた。「悔いが残らないように頑張れ」と送り出された決勝では、ウズベキスタン選手を相手に作戦通り、体落としを決めて一本勝ち。「良いコーチであり、一番の心の支えであり、最高の旦那さん」。感謝の思いを込め、金メダルを握りしめた。(塚本康平)


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