宮澤喜一記念館ができるという。
単独の建物かとおもったら松永の履物資料館内にできるのだそうだ。
今日が開館日だ。
いつか覗いてみたいものである。
 履物資料館は土日だけの開館になっていたかな。
気を付けて見ないと行った背位が見れなかったことにもなりかねない。
 宮澤喜一さんは総理大臣の頃を知っている。
 広島県出身の総理大臣は
池田勇人と宮澤喜一の二人だったかな。
 隣の山口県の出身の大臣は多い。
安倍晋三さんもそうだ。

25日、福山・はきもの資料館内

 第78代内閣総理大臣の宮沢喜一氏(1919~2007年)を顕彰する記念館が25日、ゆかりのある福山市の松永はきもの資料館内にオープンする。1951年のサンフランシスコ講和会議に出席した際に使用した公用パスポートなど、日本の戦後政治史を伝える資料など28点が展示される。「功績を広く伝えたい」と望んだ地元の人たちの思いが結実した。(清水裕)

愛用品など展示 政策構想の原稿も

 宮沢氏は東京生まれだが、父親の裕氏が福山市出身で今も生家が残る。展示品は家族から預託された。

 愛用した英語辞書や手帳、旅行カバンのほか、組閣時に着用したモーニング、高校時代の文集、胡耀邦・元中国共産党総書記との共作の書などが飾られる。市特産のはきものを展示する資料館での展覧ということもあり、宮沢氏の革靴(24・5センチ)も置かれる。

 政策構想の元となった直筆原稿も注目される。1984年の自民党総裁選を視野に発表した「資産倍増論」「平和協力外交」をまとめる素地となったとされる。原稿用紙に「宏池会新政策―総論―」「(昭和)五九・四・二六」と日付があり、推敲(すいこう)した跡が残る。

 宮沢氏は官僚や国会議員として戦後政治の節目に立ち会い、政府・自民党でも要職を歴任した。地元では、日本鋼管(現JFEスチール西日本製鉄所)の誘致や新幹線開通に伴う福山駅の高架化などに力を注いだ。

 地元の人たちが、87年にわたる軌跡を後世に残したいと記念館設立に動いた。2021年に「松永地域有志による宮沢喜一顕彰会」として陳情し、市が3080万円の予算を計上した。半分の1540万円を寄付で賄うことにし、市民や地元企業などからは倍以上の約3300万円が集まった。

 23日は報道関係者を対象に内覧会が開かれた。整備に尽力したはきもの資料館長の横山典好さん(80)は「ようやく偉大な政治家の足跡を後世に伝える施設ができた。感慨深い」と喜んでいた。25日は、親族らがテープカットをして開館を祝う。

 入場料300円。金曜~日曜、祝日の午前10時~午後4時開館。問い合わせははきもの資料館(084・934・6644)。

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 みやざわ・きいち 父親は政友会の代議士だった宮沢裕氏。東大法学部から大蔵省に入省し、1953年に参院議員に初当選。67年に衆院へくら替えして蔵相などを歴任し、91年11月に総理大臣に就任した。93年の衆院選で自民党が過半数割れし、退陣。自民党は結党以来初めて野党に転落した。その後、中央省庁再編に伴って初代の財務相も務めた。2003年に政界引退した。