ここのところ、有名人がよく亡くなっている。
нHKの元アナウンサーの鈴木健二さんが老衰のため、95才でなくなった。
テレビでよく出ていた。
小太りな方で髪の毛が薄くなってきていた。
いろんな知識をもらった。
記憶に残っていた。
 元気に何か趣味の生活をしながら頑張っておられるのかと思っていた。
残念ですね。
鈴木健二さんをしのぶテレビやラジオの番組でもあれば
お声を聞いてみたい気がする。
懐かしく頭の中で声を思い出している。
 以下はその記事です。


元NHKアナ・鈴木健二さん死去 名セリフ残す「私に1分ください」「知るは楽しみなりと申しまして」

 「クイズ面白ゼミナール」の司会、ベストセラー「気くばりのすすめ」などで人気を博した元NHKアナウンサーの鈴木健二(すずき・けんじ)さんが3月29日、老衰のため死去した。95歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。

1952年東北大学卒業後、画家を目指していたが、友人に誘われて受験したNHK採用試験に合格して入局。アナウンサーとして熊本放送局に配属された。2度目の東京配属となった60年ごろからドキュメンタリー番組のナレーションを数多く担当。全線開通前の東海道新幹線からの4時間に及ぶ実況生中継(64年)、アポロ11号月面着陸特別番組(69年)などの司会を務め話題となった。

 66年スタートの「こんにちは奥さん」の司会では、主婦層をターゲットにしたこの番組でも多くの視聴者の心をつかんだ。69年には「こんにちは奥さん」や「昭和の放送史」の司会に対して、第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞。78年「歴史への招待」、81年「クイズ面白ゼミナール」などが人気となり、83年から3年間「NHK紅白歌合戦」で白組司会を担当した。

 「クイズ面白ゼミナール」は鈴木さんが「主任教授役」で登場。オープニングには「『知るは楽しみなり』と申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。私は当ゼミナールの主任教授でございます」という決まり文句でスタートし、番組の名物となった。

 1982年9月12日にマークした視聴率42・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は「クイズダービー」「連想ゲーム」「ぴったしカン・カン」「なるほど!ザ・ワールド」「平成教育委員会」「世界まるごとHOWマッチ」などの各局の伝説的番組を抑えて、クイズ史上最高視聴率として今もなお君臨している。
 2度目の白組司会を務めた1984年の「第35回紅白歌合戦」では、同年に引退宣言をしていた都はるみさんがトリで歌った後、会場からアンコールが巻き起こる中、「私に1分間時間をください」と呼び掛けた。その後、涙にくれてしゃがみ込んでいる都さんに「エネルギーが少しでも残っていたら歌ってください」と声をかけ、感動のアンコールシーンを演出した。「私に1分間時間をください」は当時の流行語にもなった。