ウェザーニュースで見つけました。

日本人の細かな感性で、色だとか、陽気だとか、心持ちなど、微妙な違いの多くの表現があります。

雨の日が続くと、うっとうしい気持ちになりがちですが、梅雨時など、夏の雨を表す言葉もたくさんあるようです。

気持ちが晴れやかになったり、考えさせられたりするような夏の雨の名前があるんですね。

①五月雨(さみだれ、さつきあめ)

「さみだれ」と読むことが多いですが、「さつきあめ」とも読みます。

「五月の雨」と書くため、文字どおり(現在の)5月に降る雨と思う人もいるでしょうが、この「五月」は旧暦の5月のこと。
旧暦の5月は、現代では6月から7月上旬にあたるので、「五月雨」は梅雨のころに降る長雨のこと。
また、梅雨のことを表すこともあります。
「五月雨」は夏の季語でもあります。
    ~五月雨をあつめて早し最上川~ 松尾芭蕉
    ~さみだれや大河を前に家二軒~ 与謝蕪村
②涼雨(りょうう)
「涼」は「涼しい」の「涼」なので、「涼雨」は文字どおり「涼しさを感じさせる(夏の)雨」のこと。
涼雨なら、ありがたいと思う人もいるでしょう。
ただし、「冷雨(れいう)」となると、寒そう。できれば降られたくないですね。
③夕立(ゆうだち)
夏の昼過ぎから夕方にかけて、急に激しく降る雨のこと。
雷を伴うことも多いのが特徴です。
「夕立は馬の背を分ける」という諺もあります。
夕立は馬の背中の片側をぬらして、もう一方の片側はぬらさない、という意味。
それほど、限られた場所に降る雨であることを表しています。
④驟雨(しゅうう)
急に降り出して、すぐにやむ夏の雨で、「にわか雨」「通り雨」の文語的表現です。

岸田国士に戯曲「驟雨」、藤沢周平に小説「驟り雨(はしりあめ)」があります。
「秋雨」は「あきさめ」のほかに「しゅうう」とも読みますが、こちらは文字どおり「秋に降る雨」。
「驟雨」が季語の俳句を一句、紹介しましょう。
    ~包丁を持つて驟雨にみとれたる~ 辻桃子
⑤白雨(はくう)

「にわか雨」「夕立」を表し、目の前が白く見えるほど激しく降る雨のこと。

歌川広重の浮世絵「東海道五十三次 庄野白雨」には、突然の夕立に旅人たちが慌てている様子が描かれています。

「庄野」は現在の三重県にある地名。
⑥黒雨(こくう)
空を黒くするような大雨を「黒雨」といいます。
雨が黒いわけではなく、雨を降らせる雲が黒っぽく見え、空も暗く黒く見えるため、黒雨というようになったようです。
夏にときおり降る雨です。
同音異字の「穀雨」もありますが、こちらは「春雨(しゅんう/はるさめ)が降って百穀を潤す」の意で、二十四節気の一つでもあります。
他に「色」が付いた雨を表す言葉に、「紅雨(こうう)」「緑雨(りょくう)」などがあります。
⑦氷雨(ひさめ)
「氷雨」には、二つの意味があります。
一つは「雹(ひょう)、または霰(あられ)」の意で、もう一つは「霙(みぞれ)、または霙に近い冷たい雨」の意。
氷雨を「雹(ひょう)」「霰(あられ)」の意味で用いた場合は夏の季語になり、「霙」「霙に近い冷たい雨」の意で用いた場合は冬の季語になります。
⑧卯の花くたし
梅雨前の5月半ばから6月初旬ごろ、雨がしとしと降り続くことがあります。
このような梅雨入り前の長雨のことを「卯の花くたし」ということがあります。
「卯の花」はウツギ(空木、卯木)の花とも。
「くたし」は物を腐らせることを意味する名詞で、動詞の「くたす」から派生しました。
この二語を合わせてできた「卯の花くたし」は、卯の花を腐らせるほどにしとしとと降り続く雨という意味で、夏の季語にもなっています。
⑨虎が雨、曽我の雨
旧暦5月28日(現在の暦では、6月下旬から7月中旬ごろ)に降る雨を「虎が雨」といいます。

鎌倉時代初期の武士、曽我祐成(そがすけなり)と時致(ときむね)の曽我兄弟は1193(建久4)年5月28日、父の敵をとるべく、源頼朝の供をしていた工藤祐経(くどうすけつね)を斬り倒しました。

その際、兄の祐成は討ち死にし、弟の時致は取り調べののち、首をはねられました。
これを聞いた祐成の愛人、虎御前は涙を流し悲嘆に暮れたと伝わります。
ここから5月28日に降る雨は「虎が雨」といわれるようになり、夏の季語にもなりました。
曾我兄弟の曽我から「曽我の雨」ともいいます。
⑩青時雨(あおしぐれ)
晩秋から初冬にかけて断続的に降る小雨を「時雨」といい、冬の季語にもなっています

「時雨」に「青」がつくと、意味が大きく変わって、木々の青葉についた雨がぱらぱら落ちることをいいます。

夏に降るにわか雨のことを指す場合もあります。
青時雨は夏の季語にもなっています。
時雨は寒々しいですが、青時雨なら、ありがたく感じることもあるでしょう。
   ~脳天に命中するも青時雨~ 清水雪花

・・・・「夏の雨」だけでも、表現が豊かにあることに気がつきます。
日本語は深い。