昨日の樂酔寄席で、ご贔屓から頂戴したコメント。

おかげさまで、お褒めの言葉をいただいていますが、そこは演者としては、掛け目を掛けて受け止めないといけません。

嬉しいことに、「佐野山が良かった」という方と「抜け雀が良かった」という方頑張らないといらっしゃるので、良い方に解釈して、両方良かった?

「佐野山」では、まさに5月場所での新小結大の里の劇的な初優勝のタイミングと重なったシナジーは極めて大きいものの、呼び出しと行司の声を褒めていただきました。

これは狙っていた通りで、土俵に上がった時の呼び出しと行司だけではなく、後半の立行司(木村庄之助)の千秋楽の口上も入れました。

「相撲番数も、取り進みましたるところぉ。片やぁ佐野山、佐野山ぁ、此方ぁ谷風、谷風ぇ。この相撲一番にて、千秋楽ぅ〜」と。

まさに“旬”というか“瞬”の噺になりました。

「抜け雀」は軽い人情噺なので、やはり受けは上々でした。

今回初めて聴いてくださった初老の男性は、かなりの落語通でいらっしゃるようでしたが、「佐野山」も「抜け雀」も、一般に演じられているオチとは違うオチを使ったので、大変感心してくださいました。

「佐野山」では、孝行している母親を胸の病ということで仕込んで、横綱に勝ち母に胸の薬も買えて親孝行が出来、良い“関取(咳取り)”になったと。

「抜け雀」では、圓窓師匠のオチをいただいて、絵師の父親を元絵師の医者という設定にして、鳥籠ではなく竹を描かせ、オチは一般的な「父を“駕籠かき”にした」ではなく、「医者の父を“藪”にした」と。

そう言えば、「声が良いね」とも言われました。

これも有りがたいコメントですが、声の良し悪しというより、師匠常々仰っていた「大きな声ではっきりと」を実践しているからだと自負しています。

オチというのは大切なものだと、改めて感じました。