今日は落語っ子連の稽古会。

いつものように、稽古場に向かう途中でradikoで。

今朝は珍しい噺です。

◇「やんま久次」 八代目林家正蔵

圓朝門下の三遊一朝(1846-1930)老人から、八代目林家正蔵(1895-1982、→彦六)師匠に直伝され、戦後は正蔵師匠の専売でした。 
彦六師匠が昭和57年(1982)に逝った後は手掛ける人がいませんでしたが、平成6年(1995)に五街道雲助が復活させました。

番町御廐谷の旗本の二男、青木久次郎。 

兄貴がいるので家督は継げず、他家に養子にも行けずに無為の日々を送るうち、やけになって道楽に身を持ち崩し、家を飛び出して本所辺の博打場でトグロを巻いている。 

背中一面に大やんまのトンボの刺青を彫ったので、人呼んで「やんま久次」。 

今日も博打で負けてすってんてんになり、悪友の入れ知恵で女物の着物、尻をはしょって手拭いで頬かぶりというひどいなりで、番町の屋敷へ金をせびりにやってくる。 

例によって用人の伴内に悪態をつき、凶状持ちになったので旅に出なくてはならないから、旅費をよこせと無理難題。 

どっかと座敷に座り込み、酒を持ってこいとどなり散らす。 

ちょうど来合わせたのが、兄弟に幼いころ剣術を教えた、浜町で道場を営む大竹大助という先生。 

久次がお錠口でどなっているのを聞きつけ、家名に傷がつくから、今日という今日は、あやつに切腹させるよう、兄の久之進に勧める。 

老母が久次をかわいがっているので、自分の手に掛けることもできず、今まではつい金をやって追い払っていた兄貴も「もうこれまで」と決心し、有無を言わせず弟の首をつかんで引きずり、一間にほうり込むと、そこには鬼のような顔の先生。 

「これ久次郎。きさまのようなやくざ者を生けおいては、当家の名折れになる。きさまも武士の子、ここにおいて潔く腹を切れ」 さすがの久次も青くなり、泣いて詫びるが、大助は許さない。 

そこへ母親が現れ、 「今度だけは」 と命乞いをしたので、やっと 「老母の手前、今回はさし許すが、二度とゆすりに来るようなことがあれば、必ずその首打ち落とす」 と、大助に釘をさされて放免された。

いっしょに帰る道すがら。 

大助は、 「実はさっきのはきさまを改心させるための芝居だった」 と明かし、三両手渡して、 「これで身支度を整え、どこへなりと侍奉公して、必ず老母を安心させるように」 と、さとす。 

久次も泣いて 「きっと真人間になりやす」 と誓ったので、大助は安心して別れていく。 

大助の後ろ姿に、久次は 「おめっちの道楽といやあ、金魚の子をふやかしたり、朝顔にどぶ泥をひっかけたり。三道楽煩悩のどれ一つ、てめえは楽しんだことはあるめえ。俺の屋敷に俺が行くのに、他人のてめえの世話にはならねえ。大べらぼうめェ」

彦六師匠はこんな風に話しています。
「この噺を一朝おじいさんがやって、圓朝師匠にほめられたそうです。『私はおまえみたいに、ゆすりはうまくやれないよ』といって……(中略)最後は『おおべらぼうめー』といって、昔は寄席の花道へ引っ込んだものです。『湯屋番』でこの手を遣った人がいましたね。『おまえさんみたいな人はいらないから出ていっとくれ』『そうかい、おれもこんなおもしろくねえところにはいたかねえ』といって、花道を引き上げるんです」

「やんま」というのは、トンボのことで、「馬大頭」と書きます。

やんまには隠語で「お女郎」の意味があり、お女郎遊びを「やんまい」「んやまい」などとも称しました。 久次郎のやんまの刺青は、それを踏まえたものでもあったのでしょう。