外は天気が怪しそうだから、部屋に籠って・・。
「びあ落語ざんまい」で、五街道雲助師匠の「抜け雀」を聴きました。

落語には、描いた絵の中の人や動物や幽霊が、彫った水仙や鼠や猫が動き出すという噺が多くあります。
作者は、絵では円山応挙、彫り物では左甚五郎というのが定番ですが、中には、名前が特定されない冥人も出て来る。

その典型が、古今亭の噺だと言われる「抜け雀」。
私が初めて聴いたのは、先代の金原亭馬生師匠を生で。
オチは、「わしは親不孝じゃ。見ろ、親を駕籠かきにした」です。
駕籠かきというのは、籠を担ぐ人足のことを言いますが、江戸時代には、性質(たち)がよくない人が多い職業で嫌がられていました。 
駕籠かきの中には、無理に駕籠をすすめたり、最初に決めた料金を途中で値上げしたり人のいないところで強盗したりするのがいました。 
またの名前を「ごまの蠅」とか「雲助」とかいわれた職業です。

・・・駕籠かきという言葉が出て来る「抜け雀」を「五街道雲助」師匠が演るんですから、まさにピンポイント?
10年くらい前に、私がこの噺を演った時、聴いてくれた落研の長老の先輩から「これが三遊亭の『抜け雀』かい?」と言われましたが、実は、圓窓師匠の高座本のオチは「駕籠かき」ではありませんでした。
理論派の師匠は、柳家小きん時代に当時に「笑点」のメンバーだった柳家つば女師匠から、「雀は籠で飼う鳥ではない」と言われたそうです。
つば女師匠は、美大の出身なので、説得力があったそうです。
だから、この噺で、雀を描いた絵師の父親が、鳥籠を描くのはおかしいということで。

そこで、師匠はオチを変えて、父親は鳥籠を描かずに竹を描くことにします。
そしてオチも、「駕籠かき」ではないものにしました。
私も、全く同感なので、オチを変えて演っています。
だから、「三遊亭(三遊派)の抜け雀」ではなく、「圓窓師匠の抜け雀」ということです。