10時ちょっと前、上野駅公園口を出ると、上野公園は大勢の人が出ていました。

外国人旅行者と幼児を連れた家族連れ、それから修学旅行生が目立ちました。

広い公園内は、混雑もなくゆったりしています。

これから、東京藝術大学美術館に向かいます。

国立博物館の前を斜めに歩くと間もなく、藝大のキャンパスが見えて来ます。

満を持して「大吉原展」を鑑賞します。

上野公園の森は、新緑が清々しい。

藝大の奏楽堂も、緑に囲まれている。

藝大は、私のような無粋で無芸で下俗な者にとっては、一番遠い存在の大学です。

畏敬の念とコンプレックスを抱きつつ、藝大美術館に向かいます。

それにしても、こんな自然豊かな中のレトロなキャンパスで学べるなんて、実に羨ましい。

藝大美術館には何度か来ていますが、とても近代的な建物です。

10時開館の数分前に着くと、既に20〜30人が並んでいました。

やって来ました「大吉原展」です。

吉原は落語では外せないですから、とても楽しみにしていました。

江戸の吉原は、約250年続いた幕府公認の遊廓でした。

遊廓は、前借金の返済にしばられ自由意志でやめることのできない遊女たちの犠牲の上に成り立っていた、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。

一方で、江戸時代における吉原は、文芸やファッションなど流行発信の最先端でもありました。
3月にだけ桜を植えて花見を楽しむ仲之町の桜や、遊女の供養に細工を凝らした盆燈籠を飾る7月の玉菊燈籠、吉原芸者が屋外で芸を披露する8月の俄(にわか)など、季節ごとに町をあげて催事を行い、贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界。
そこでは、書や和歌俳諧、着物や諸道具の工芸、書籍の出版、舞踊、音曲、生け花、茶の湯などが盛んでした。
そうした吉原の様子は多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎らの出版人、大田南畝ら文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
また、年中行事は江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人々も吉原を訪れました。 
本展に、吉原の制度を容認する意図はありません。
国内外から吉原に関する美術作品を集め、その一つひとつを丁寧に検証しつつ、江戸時代の吉原の美術と文化を再考する機会として開催します。

音声ガイドを借りたので、じっくりと、ゆっくりと鑑賞することが出来ました。

午前10時の開館と同時に入館して一回りして出て来たら、もう12時過ぎていました。
とても楽しかった、美しかった・・・勉強になりました。