彼岸入り前ですが、墓参のため愛車で帰省の車中。

◇「位牌屋」  三遊亭圓生

ケチでは人後に落ちない赤螺屋の丹那。
子どもが生まれ、番頭が祝いに来ても、経費がかかるのに何がめでたいと、小言を言います。 
八百屋が摘まみ菜を売りに来ると、八貫五百の値段を、八貫を負けて五百で売れと言って怒らせ、 帰ると、こぼれた菜を小僧に拾わせて味噌漉しいっぱいにしてしまい、喜ぶ始末。 
芋屋が来ると、イモをただで三本も騙し取ったりという具合。
小僧に、注文しておいた位牌を取りに仏師屋へやる。 それも裸足で行かせ、向こうにいい下駄があったら履いて帰ってこい、と言いつけるも物凄さ。
小僧が、先方で、芋屋とのやり取りをそっくり真似をして、タバコをくすねたり、下駄を履いて帰ったり、位牌までおまけに貰って来る。
「こんな小さな位牌、何にするんだ」 
「オマケなら、なぜ大きいのを分捕ってこない、」 「へー、今度生まれたお坊ちゃんのになさいまし」

やはり、私にとっての落語の原点は、圓生師匠です。