SNSに投稿されていた、「目黒名人会」のポスター。
「柳家小三治真打襲名披露」とありますから、恐らく1969(昭和44)年だと思います。
今から54年前のこと。

「目黒名人会」は、1960年代後半頃に開業したものの、経営不振で廃業予定だったが、1971年(昭和46年)12月に七代目立川談志が元の経営者から引き継いで、寄席の復活という選挙公約を実現し、出演者の顔付けの見直しや自身の独演会開催、若手による中入り前の中喜利の実施、トリの出演時間に1時間を割くなど、総合的にプロデュースしたが、経営状態は好転せず数年で閉場した寄席。
ポスターを見ると、中段に「若手落語研究会」とあって、圓窓師匠の名前も出ています。
小三治師匠と圓窓師匠は、同期のライバルでした。
【柳家小三治師匠】
1939年12月17日生まれ

1959(昭和34)年3月柳家小さんに入門 前座名「小たけ」

1963(昭和38)年4月二ツ目昇進「さん治」と改名

1969(昭和44)年9月真打昇進 十代目「柳家小三治」を襲名

【三遊亭圓窓師匠】
1940年10月3日生まれ

1959(昭和34)年3月八代目春風亭柳枝に入門 前座名「枝女吉」

1959(昭和34)年10月柳枝歿後六代目三遊亭円生門下へ「吉生」

1962(昭和37)年11月二ツ目昇進

1969(昭和44)年3月真打昇進 六代目「三遊亭円窓」を襲名

圓窓師匠が3月に先に真打昇進し、半年後に小三治師匠が続きましたので、1969(昭和44)年の秋から冬の頃でしょう。

お二人が、一番輝いていた頃ですね。