今日の博物館友の会のバス見学会のテーマは「太平記の里 足利・新田荘を巡る」ということで、新田氏所縁の群馬県太田市と、足利学校のある栃木県足利市を見学するコースです。

いずれも名前は知っていても、行くのは初めて。

勿論、ほとんど知識もありません。

まずは、新田義貞で有名な群馬県太田市の新田荘(跡)。

南北朝時代の足利氏(尊氏)と新田氏(義貞)との関係などについては、バスの中でレクチャーを受けて、基礎知識を入力して太田入り。

生憎の雨の中で、傘をさしながらの見学になりました。

何処に行っても感心するのは、それぞれの土地の史跡や文化財の多くが、保存され、あるいは復元されて、一般に公開されていることで、ここでも、新田荘遺跡と称されて、とても見応えのあるものばかり。
というより、初めて聞いて、初めて来て、初めて見るものばかり。

雨降りもあり、予定していた古い館跡などで廻りきれない場所もありました。
恥ずかしながら知らなかった、日本の名城の1つと言われる金山城も凄い。
かつての本丸跡は、新田神社になっていて、石垣や井戸などしか残っていませんが、この急峻な地形を活かした、難攻不落の城の様子は、残っている石垣を見ただけでも想像することが出来ました。

新田義貞が鎌倉討伐の一声をあげたと言われる生品神社の静かな佇まいも心が落ち着きます。

太田市っていうのは、スバルの街だと思っていましたが、それは最近の話で、南北朝時代が偲ばれる街でした。
後半は、群馬県から栃木県足利市の足利学校と足利氏の館跡の鑁阿寺(ばんなじ)へ。
鑁阿寺・・・、初めて見る漢字で読めない(;´д`)

足利学校と鑁阿寺のある周辺は、本当に整然とした街並みが続いていて、名所旧跡だけでなく、とても驚きました。

日本で最初の学校だから、「〇〇学校」と呼ぶ必要がないから。門の額も「学校」とだけしか書いていません。
確かにそのとおりで、会社でも社長のことを苗字をつけて「〇〇社長」という人が多いですが、社長は一人しかいないから、「社長」だけで十分。

とにかく、素晴らしいとしか言いようのないものばかりでした。

見学の順路の最後に、足利学校を保護した人々という中に、足利藩最後の藩主戸田忠行という人が紹介されていました。
幕末から明治にかけての人です。
実は、母方の祖母が、戸田一族の末裔ではなかったかと言われていたので、とても興味がありました。

足利氏館跡と言われる、鑁阿寺も素晴らしかった。

ここに来て、やっと降ったり止んだりの雨も上がりました。

・・・全く知識のない私でしたが、運営委員の方々の渾身の資料などで、わずかながら、南北朝時代や孔子に触れることが出来ました。
ところで、バスの中や、各地を散策したり、食事をしている時に、数名の方から、「この間の落語良かったよ」「人情噺に涙が出ました」「また聴かせてください」など、とても嬉しい言葉を頂戴しました。
また、会長さんのご配慮で、食事の時に参加者の皆さんにお礼を申し上げる時間も作っていただきました。
中には、「圓窓さんが亡くなって、円楽さんも亡くなって、これから三遊亭はどうなるんですか?」と、豪速球のストレートを投げてくださる方もいました。
・・・そう、確かに、約44年前の落語界の「南北朝」は、残念ながら「柳派」が「三遊派」を駆逐した・・・というか「三遊派」の自爆(崩壊)で幕を閉じた感があります。
蓋し、歴史は繰り返される・・・か。