【河豚鍋】


日本語というのは難しいもので、同じ物でも、濁音を付けたり付けなかったりする。
河豚という魚も、一般的には「ふぐ」ですが、名産地の下関では「ふく」と言うそうです。
さらに日本語には、濁音が付くか付かないかで、全く正反対の意味になる言葉もありますね。
「世の中は、澄むと澄まぬの違いにて、刷毛に毛があり、禿げに毛がなし」ってなものです。
そういう点からも、この河豚もそうかもしれません。
「ふぐは不遇で、ふくは幸福」という訳で。

・・・ちょっと季節はずれの噺ですが・・・。

ある男の家に、出入りの幇間が久々にたずねて来る。男の家ではちょうど酒と酒肴の支度をしていたので、男は幇間に飲み食いしていくよう座敷に誘う。「あんた、鍋は食べるか?」「あいにく歯があまり丈夫ではないので…」

酒肴はもちろん鍋そのものではなく、鍋料理であった。

白菜、シイタケ、豆腐などの具材の間から、白身の魚が見える。

男は「思いがけず、フグが手に入ったのだ」と言う。

ふたりはフグを食べた経験がなく、中毒が怖いので、お互いにゆずり合うばかりで一向に箸をつけようとしない。

ふたりが鍋を前に途方にくれていると、男の妻が座敷に入ってくる。

「おこもさん(=乞食)が『お余り(=残飯)を恵んでください』と言ってなかなか帰らないのです」

それを聞いた男は「それなら、このフグをそいつに食べさせて、そいつの様子を見て何も起こらなければ、われわれもこの鍋をいただくとしよう」と幇間に提案し、出て行った乞食を幇間に尾行させる。

幇間は、男の家に戻って「座り込んで気持ちよさそうに眠っていたので(あるいはそれに加えて「目をこらすと食器が空だったので」)、食べてしまったのではないかと思う」と男に報告する。

それでもふたりの不安はぬぐえず、ふたたびゆずり合いを始めるが、男が「こうしていても仕方ないので、『1、2の3』で一斉に口に入れよう」と提案する。

ふたりがそのようにして食べてみると美味なので、そろって驚く。

喜んだふたりはそれまでの恐怖を忘れて、鍋を平らげる。

そこへ先の乞食が、今度は座敷の庭先に現れ、男に「先ほどのものは、すべてお召し上がりになりましたでしょうか?」と問う。

男は「味をしめたな。残念だがこの通り、すべて食べてしまったよ」

「そうですか。それならわたしは、これからゆっくりいただきます」