【麻のれん】

最近、「忖度」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。 

この「忖度」という言葉は古くからある言葉だそうで、中国最古の 詩集「詩経」でも見ることができるそうです。

 日本でも、平安時代に菅原道真の「菅家後集」に出て来ていますが、 かつては現在のように頻繁に使われる言葉ではなかったようです。

 本来の意味は「相手の気持ちを考慮する」という、ポジティブな 言葉です。 「他人の心中を推し量ること」「自分なりに考えて、他人の気持ち を推し量ること」という、とても奥ゆかしい意味なんです。

ところが、最近よく使われる場面では、ポジティブな意味ではなく、 「特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動 する」という意味で用いられるようになっています。 

「顔色をうかがう」「ご機嫌をとる」という、ネガティブな意味合い が強くなっていますね。 

何か、「忖度」という言葉が気の毒に思えてしまいますが・・・。 

やはり「忖度」も「やばい」というのと同じように、元々の意味とは 正反対の誤まった意味に押し退けられてしまうのでしょうか?

言葉というものは、多数決で決まるようなところがありますから、 本当に悩ましいものです。 

それにしても、人の気持ちを推し量るというのは大変難しいもので、 良かれと思ってやったことが、裏目に出てしまうこともあるようで。

落語というのは、庶民のあるあるも題材にしています。

按摩(あんま)の杢市(もくいち)は、強情で自負心が強く、目の見える人なんかに負けないと、いつも胸を張っている。

今日も贔屓の旦那の肩を揉んで、車に突き当たるのは決まって間抜けな目の見える人だという話をしているうちに夜も遅くなったので、旦那が泊まっていけと言って、離れ座敷に床を取らせ、夏のことなので、蚊帳も丈夫な本麻のを用意してくれた。

女中が部屋まで連れていくというのを、勝手知っているから大丈夫だと断り、一人でたどり着いたはいいが、入り口に麻ののれんが掛かっているのを蚊帳と間違え、くぐったところでぺったり座ってしまう。

まだ外なので、布団はない。

いやに狭い部屋だと、ぶつくさ言っているうちに、蚊の大群がいいカモとばかり、大挙して来襲。杢市、一晩中寝られずに応戦しているうち、力尽きて夜明けにはコブだらけ。

まるで、金平糖のようにされてしまった。

翌朝、だんながどうしたのと聞くので、事情を説明すると、旦那は、蚊帳をつけるのを忘れたのだと思って、杢市に謝まって女中をしかるが、杢市が蚊帳とのれんの間にいたことを聞いて苦笑い。

いったい、おまえは強情だからいけないと注意して、今度は意地を張らずに案内させるように、さとす。

しばらくたって、また同じように遅くなり、泊めてもらう段になって、また懲りずに杢市の意地っ張りが顔を出した。

旦那が止めるのも聞かず、またも一人で寝所へ。

今度は女中が気を利かせて麻のれんを外しておいたのを知らず、杢市は蚊帳を手で探り出すと「これは麻のれん。してみると、次が蚊帳だな」。

二度まくったから、また外へ出た。

・・・お互いに気を回すと・・・・、意地も張るものではない。