この日は無料(寄付だけ)でヒーリングをしてもらえるかもしれないということで、Dさんの団体の春フェス(オンライン)に参加してみた。

40人くらいの参加人数で知り合いは流石にいない。

これに参加するために、病院面会は妻に任せ、子ども対応をする必要もあり、長女は昼食後にベビーカーで外出して寝かしつけたのだが、ヒーリングセッションが始まった直後に起きてしまい、次男に見ていてもらうことに。(次男もある程度のお世話ができるようになった)

そんなバタバタの中、FさんとGさんに、そうちゃんのヒーリングをお願いした。元々遠隔だし、スピリチュアル・ヒーリングでは繋がれると思ったので、本人ではないヒーリングをお願いしたのだが、快く受けていただき感謝である。

 

また、フェスの終盤にはDさんのデモンストレーションの時間があった。デモンストレーションは、死者の霊や霊界の存在を示すために、衆人の中でミディアムの方がリーディング(いわゆる霊視)を実演してくれるもので、通常、霊からメッセージがある方をミディアムが指名して行われるが、Dさんが「これまで私のリーディングを受けたことがない方はいますか」と言われたので手を挙げてみたところ、突如リーディングしてもらえることとなった。

 

リーディングは指導霊を視て頂いたが、変わった鍔のある帽子を被っている方のようで、その帽子の名前を思い出されようとして1分くらい停滞し、その後に下記のようなことを言われた。

 

「指導霊は、スピリチュアルの世界と手を取り合い、学問もしていた。あなたも勉強はさほど苦労せずにできるほうだったのではないか。」

「感覚にも優れている。そのように思うことがないか。」

「インスピレーションは受けてきたのではないか。」

「創造的なことは得意であるはず。」

「昔からこういう霊の存在や世界に興味があったのではないか。」

「日頃、この世の中において戦争など悲惨なことがなくなればいいのにと思われている。事件を起こすような魂が未熟な人に対して、フラストレーションを感じることがあるのではないか。」

「世の中でやっていないこと、新しいことに挑戦したいといった思いを持っていると思う。これは指導霊が開拓者であることにも由来している。もしかしたら過去生かもしれない。是非、仲間と手を組んでやってください。道を作る人だと思う。」

「転生を繰り返しており霊性も高い。」

 

感覚に優れているか、インスピレーションを受けてきたのではないか、という質問にはどちらかと言うと否定的な返しをしたのだが、創造的なことが得意だと言われると確かに〜と、俄然テンションが上がる。

思い出してみると、進学や結婚でも直感が決め手になっていたり、後から色々と思い当たる節があった(高校受験で志望校に合格できたのは、数学でルート(√)を含む解答を図を書いて目算で算出して正解するミラクルがあったり、妻とは出会った時に結婚する気がしたこと、趣味でも夢判断を活かしていたことなど)から、インスピレーションを受けてきたのも事実かもしれない。


また、霊の存在や世界への興味は昔からあって、ちょうどそうちゃんが生まれる頃にも、『プルーフ・オブ・ヘヴン』(エベン・アレグザンダー著)や『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)を読んでいた。

戦争などの話は、ちょうどこの日の朝に妻にスピリチュアリズム7大綱領の考えを持つ人が増えたら自己中心的な考えをしなくなって平和にもつながるのにといった話をしていた。

新しいことへの挑戦は、前の趣味でも自分なりの思いで、悪徳を減らすための活動をしていたから、そういう思いを持っているということも頷ける。

 

霊性については、検索やYoutube等で調べると、

人の悪口を言わずポジティブ、素直で正直である、助け合う精神や感謝の心を持っている、お金に執着しない、人と自分を比べない

などの性質・傾向が高さの目安になるという。

自分の心がそれらにどこまで達しているかはあまり自信はなかったが、仕事におけるスキルが高いと思えないところ、感謝ベースの調整能力やトラブルを起こさないことを評価されてきたと思ってきたので、励ましの言葉として受け止めたい。

大学時代の部活仲間などで、基本ネガティブで人の悪口ばかり言う人との縁もあったが、関係性は維持されなかった。

(大学の部活仲間は久しぶりにコンタクトを取ってこられ、アポを取ろうかとしていたところに今回のことが生じたので、再会する必要はないということなのだろうか)

 

正直なところ、他のミディアムの方のデモンストレーションは、シッター(受ける人)との会話がスムーズでないものが散見されたのでどうなんだろうかと思ったりもしたが、私へのDさんのリーディングは納得できるものが多かったように感じた。

しかし、自分にしかわからないような情報は含まれないとも思われ、この時点では完全に信じるまでに至っていない。