大晦日は、夕方に妻の2人の妹家族がそうちゃんに面会した。

急変の翌日、翌々日にも来てくれたが、そうちゃんは妻の実家に遊びに行くことが多く、よく遊び相手をしてもらったり、また、従兄弟の中で一番のお兄ちゃんとして相手をしてあげたりしていたから、彼らにとってもショックなことだと思う。

 

自分は昼の面会後に自宅に移動し、次男と長女と先にいただきものの年越しそばセットをいただいた(正月のおせちもいただいたが、料理ができる状況ではないので本当に感謝です)。

 

そうちゃんのベッドサイドに家族写真を置くことができるので写真を探したが、家族5人の写真がないことが判明。12月に家族や妹家族でディズニーシーに行った時に撮影しておけば良かった。

 

昨年の年末年始は妻の実家でノロウイルス感染が蔓延し、仕事の関係で合流できていなかった自分が、まだ感染していない長女を大晦日に自宅に連れ帰り、そのまま家族が分かれたまま新年を迎えるという正月だったが、2年連続で家族全員での年越しができず、これも家族写真を撮るタイミングを逃した経緯である。

 

子どもたちを寝かしつけた後、やはり時間があれば情報収集をしてしまう。「意識がない家族になにができるか」サイトを見つけるが、今すぐにできることと言えば音楽療法くらいしかなさそうである。

 

そうちゃんが好きで歌っていた名探偵コナンの曲や、ドラえもんの曲、ポケモンの曲、運動会のダンス曲、そして一緒に楽しんだゲーム音楽などを購入したりネットで拾って、家族の応援メッセージも吹き込んでCDを作ることにした。

 

また、更に色々と調べていくうちにオルゴール療法に辿り着き、姉とも相談するうちに明日、鎌倉までオルゴールを見に行ってもらえることになった。

オルゴール店が元旦でも開店しているということに驚いたが、実際見てもらうとネット販売と比べて高額で、ネットから購入してくれることになった。

 

そうちゃんの状態は、ドレーンからの排液が減少し、全て抜去することができたり、鎮静鎮痛薬を日々減らしていき、大晦日に終了することができた。

一方、心拍数が低下傾向にあり、中枢性尿崩症の診断がされたり、炎症反応の値(CRP、白血球)が悪化して感染の疑いが生じたり、薬の影響か胃の消化が悪いため鼻からの十二指腸カテーテルで栄養を送ることになった。

 

できることを行い、意識回復等を祈るしかない状況が続く。

 

元旦には能登半島地震が発生し、連日の報道では、自分以外の家族全員を亡くされた方がいらっしゃることを知ったが、自分にはとても耐えられないと思う。

そのような方々も含め、犠牲となった方のご冥福を祈る。

人生、何があるかわからない。

生きさせてもらっている限り、毎日を頑張って生きるしかない。